なぜ、そうしたいの?[murmurBrain]

 たまたまそういう依頼がかぶったせいもあるし、前々から思っていたことについて書いてみる。


 仕事柄クライアントからは、「こういうことがしたい」という依頼をよく受ける。
 それは「こういう機能を追加して欲しい」とか「デザインを変えたい」とか、もっと具体的に「このバナーを張りたい」とかそういう類のもの。


 それ自体は何の問題もない。
 ただそこで気になるのは、「それはなんのために、誰のために、なぜ、そうしたいの?」ということだ。
 もちろん、直接聞く場合もあるのだが、既に方法論ありきで話が進んでしまっていることが多々ある。
 その場合の多くは、クライアントのさらに先にクライアントがいて、そこから「こうしたい」という依頼が来た、というものだったりする。
 そうなると、クライアントのクライアントの意見までは遡ることができず、結果的には要望にはこたえる形にはなるのだが、それが本来の「目的」に合致したものなのかどうかはわからないままの仕事になってしまう。
 それがなんかしっくりとこない。


 クリティカルシンキングの世界では「なぜ?を五回唱えろ」という言葉があるが、そこまで言わずとも、「なぜ」と一度は振り返って欲しいと思うし、私の仕事のひとつはクライアントに振り返らせることであるとも思う。
 というか、むしろどうして先に方法論(こういう風にしたい)というものが出てくるのかがなかなか理解できない。まあ、単に「やりたいだけ」っていうのも立派な理由ではあるんだけど。
 大概は、そういう方法論を先に見てしまい、それが良さげに見えるからやってみたくなるんだろうなあ。
 実際にやろうとすると、目的が違うことに気づかず、方法論に無理に合わせようとするんだろうけど。


 決して文句とかそういう話はないし、もちろん相手を小馬鹿にしての話でもない。
 自戒も含めて、「こういうことがしたい」と思ったときには、それと同時に「なぜ、そうしたい?」という言葉を一度は唱えようよ、という話でした。