指導者によるスポーツの進化と発展、それがもたらすもの

 今回のオリンピック、その中でも特になでしこの躍進と、柔道、シンクロナイズドスイミングの低迷を見て思い浮かんだことについてつらつらと書いてみる。


 昨日(本日早朝)の女子サッカー決勝について、国内のメディアはもちろんだが、海外のメディアもこの試合の内容の素晴らしさ、そしてもちろんなでしこ達が披露したサッカーについて賞賛を贈っていた。
 同時に、サッカーの聖地・ウェンブリースタジアムで、この試合が80,000人以上の観衆を集めたこともまた、エポック・メイキングな出来事であったと言えるだろう。


 誤解を恐れずにいえば、一昔前の女子サッカーというものは、基本的にフィジカルの戦いであった。各チームごとの戦術といったものはほとんどなく、例えばブラジルでいえば、「戦術はマルタ」という突出した個人に依存するものであったし、その他のチーム、それこそ日本でさえ、「戦術は澤」に近いものだった。
 一人のサッカー好きである私ですら、オリンピックやワールドカップ女子サッカーは積極的に見たいと思うようなものではなく、見たとしても、これまた非難を覚悟で言えば「女子であれだけのシュートが打てるのはスゴイな」というような「男子と比較しての上から目線」的な見方であったり、それこそ美人選手を見つけては楽しむといった、とてもじゃないが純粋に女子サッカーというスポーツを楽しむこととは程遠いものだった。
 皆が皆そうであったわけでは当然ないが、それでも私と同じような視点でしか女子サッカーを見ることができなかった人は多くいたに違いない。


 それが今回、サッカーの母国イングランドが舞台だったことを差し引いても、女子サッカーの決勝が80,000人以上の観客を集めるだけのコンテンツとなり、あまつさえ世界中から注目を浴びるようになったことは、間違いなく女子サッカーというスポーツが決してフィジカルだけのものではなく、その試合内容までもが魅力的なものへと変貌した証左である。
 そして、その最も大きな役目を担ったのがなでしこ達だった、といっても決して言い過ぎではないだろう。
 彼女たちは、これまでのフィジカル中心の女子サッカーに、パスサッカーという新たな戦術をもたらし、それを実践し、トップの地位まで上り詰めることに成功した。

 そして彼女たちのサッカーを世界中のチームが模倣し、さらにそれぞれのチームにふさわしい戦術へと昇華させていったのである。
 その過程でアメリカは失敗もしたし、カナダやフランスは一定の成功を収めている。逆に、それに取り残された感のある中国、ドイツ、スウェーデンといったかつてのフィジカルサッカーの中での強豪たちは遅れを取ることになった。
 今の女子サッカー、とりわけ今回のベスト4に残ったチームの試合は、決して男子の劣化版でも廉価版でもなく、女子サッカーというコンテンツとしての魅力を十分に持っていたと思う。


 そんな状況の中で、なでしこの監督である佐々木則夫監督の勇退のニュースが流れた。男子サッカーに関わりたい、という本人の要望によるものだ、ということらしく、古巣である大宮アルディージャに戻ることがほぼ確定らしい。

 しかし、このニュースを見て私が思ったのは、佐々木監督がもし海外、それもアメリカやフランス、カナダといった強豪国に招聘されたとしたら、さらに女子サッカーのクオリティは高まり、面白くなるのではないか、ということだった。もちろん、佐々木監督でなくともよい、現在のなでしこの基盤を築いた大橋監督でも構わない。彼らが世界に出ていくことで、女子サッカーは切磋琢磨され、さらなる発展を遂げるのではないか。そして、その発展の礎を築いたのが日本のサッカーであり、日本人指導者である、などという未来が来たとしたら、私は日本人のサッカーファンとして、とても誇らしい気持ちになるだろう。
 男子サッカーでいう、ミケルスやサッキ、クライフのような指導者のレジェンドとして日本人が語られる日が来る、そんな夢を思い描いてしまったのである。


 ただ、世界のサッカーが進化すると同時にそれは日本代表が苦しむことになることもまた意味する。
 そのことを痛感させられたのが柔道とシンクロナイズドスイミングである。


 いうまでもなく柔道は長い年月をかけて世界へと広まり、今では国別の柔道人口では日本は決して上位には入らないような状況になってしまった。これまでの間に、どれだけの日本人指導者が世界へと旅立ち、その中で各国の柔道を強化してきたか。それは容易に想像できることである。
 その中で柔道は「JUDO」として進化し、今では母国である日本を苦しめることになってしまった。しかし、そのこと自体は日本人にとっては残念なことだが、柔道というスポーツから見たら悪いことばかりではないはずだ。


 同じことを最も端的に表したスポーツ、それがシンクロナイズドスイミングである。一時期はロシア以外に敵なし、という一時代を築き、おかしな言い方だが銀もしくは銅メダルは確定されていた時代があった。それは全然遠い昔の話ではなく、小谷実可子から奥野史子、2大会前の立花・武田コンビに至るメダル獲得の歴史からもわかることである。
 しかし、そのシンクロナイズドスイミングに大きな変化が訪れる。日本のシンクロナイズドスイミングの黄金時代を気づいた井村雅代コーチが日本を離れ、中国のコーチとして就任したこと、そしてもうひとりの日本人・藤木麻祐子がスペインのコーチに就任したことから生まれた。
 二人の指導はそう時間をかけることなく結果に結びつく、北京オリンピックでスペインはデュエットとチームで銀メダル、中国はチームで銅メダルを獲得する。その結果メダル圏外へと弾かれたのは誰あろう日本なのだった。


 競技の成果としての目安であるメダル、というものは日本から離れていってしまった。しかし、井村、藤木という日本人指導者の名声は高まった。それはすなわち日本という国におけるシンクロナイズドスイミングの競技レベルの高さを意味するし、結果としてそれまではロシア、日本、アメリカ、カナダによって独占されていた上位に、中国とスペインが割ってはいることで競技全体のレベルの底上げにも貢献したのである。
 おそらく、数年・数十年経ったとき、シンクロナイズドスイミングの歴史を語る上で井村と藤木に代表される日本人指導者の名前が忘れられることはないだろうし、中国とスペインにとって、二人はこの競技の母親のような存在として語り継がれるだろう。
 私は日本人としてそのことが誇らしい。


 考えてみればサッカーの世界においても、競技の発展と自国の低迷という、当事国にとっての二律背反はしょっちゅう起こっていることなのである。
 今まさに世界のサッカーを牽引するバルセロナのサッカー、そして彼らを中心としたスペイン代表のサッカーは、オランダ人であるクライフによって提唱されたものだ。
 しかし、その結果がもたらしたのは皮肉なことに、オランダがワールドカップでクライフが決勝への切符を獲得した1974年の西ドイツ大会以来、36年ぶりに決勝へと進出した南アフリカ大会でオランダ初優勝の夢をスペイン代表が打ち砕く、といったものであった。


 逆に、日本に目を向ければ他の競技、例えば卓球であれば中国人のコーチを招聘するし、バドミントンやフェンシングでも海外のコーチを招聘する。サッカー日本代表ザッケローニが率いるザックジャパンだし、冬季でいえばモーグルの日本代表チームのコーチはかつての世界チャンピオン、ヤンネ・ラハテラである。


 こうした状況を鑑みたとき、スポーツの世界において、日本人が競技者としてではなく、指導者として世界に進出し、そのスポーツを発展させることに貢献できるのであれば、個人的にはどんどんと世界に出ていってほしい。
 競技者としてチャンピオンになることはもちろん最高に素晴らしいことだが、そのスポーツの発展に貢献する、ということもまた同時に素晴らしいことであり、これまでその立場に立つことができた日本人は決して多くはない。
 私としては、前述したように、ミケルスやサッキ、クライフのような存在として日本人が語られる日がもしくるのであれば、競技者としてのチャンピオンを語るのと同じくらい嬉しく、誇らしい気持ちになると思う。