なぜ、ももクロにハマるのか?

 友人から紹介された以下のサイトの文章を読んで触発されたので、私も自分自身の心の整理のためにももクロについてちょっと書いておこうと思う。

問.ももいろクローバーはAKB48とどこが違うか。


 私の知人友人は既にご存知の通り、この1ヵ月半の間に、自分でも驚くほど激烈炸裂強烈破裂爆裂もーれつ*1なスピードでももクロにハマりました。
 高校生時代に原田知世さんのファンになったという経験はあるものの、いわゆるアイドルヲタ的な要素は自分にはないと思っていただけに、なによりも自分自身がビックリするほどのハマりぶりで、手に入る全ての楽曲を入手することはいうまでもなく、ライブやTV番組のDVD、ブルーレイを買い、冠番組を欠かさず見、YouTube動画を手当たり次第に見、それに飽き足らず南海キャンディーズの山ちゃんやプロインタビュアー吉田豪ももクロについて語るラジオやPodcastまで聞き、ついにはライブに直接足を運ぶところにまで来ています。
 これたったの1ヵ月半の間に起こったことです。


 自分がここまでももクロにハマったことは、自分の精神状態なども要因としてありますが、「ではなぜ他のアイドルではなく、ももクロなのか?」ということは一考に値する題材だと思い、ここに私なりの分析を書いておきたいと思います。


 そもそも論から入って恐縮ですが、ではいったいアイドルとはなにか、という話です。
 そして同時にももクロはアイドルなのか、という話です。
 2つ目については実は容易で、ももクロはアイドルではない、少なくともこれまでの定義で語られてきたアイドルではない、というのが私の結論です。


 それはなぜか。というところで1つ目の話になります。
 アイドルの定義論争にはしたくないので、ここで肝となる象徴的事象についてのみ語りたいと思います。

 実は「アイドル」という職業は存在しません。
 彼女、彼らは、俳優でありアーティストであり、バラエティタレントであり、もしくはそれら全てであり、それらを職業とする、「若くて見栄えのする」存在のことです。

 もちろん、その中でも「アイドル」という存在に変遷はありました。
 そして、おニャン子クラブに始まり、モーニング娘。AKB48のように、その存在は徐々に近しいものになってはいきましたが、本質的には俳優であり、アーティストであり、バラエティタレントであり、その職業という範疇の中ではアイドル以外の存在と同義の存在でした。
 つまり、出自や個性といった違いこそあれ、同一線上で語ることができる存在である、ということです。

 もし、ももクロがこの範疇に入るのであれば、私がももクロにハマった理由は単純で、そもそもアイドルヲタとしての素養があり、たまたまその中で一番好みだった、というだけのことです。
ただ、自分としては決してそうは思えなかったので、今こうしてその理由を書いているわけですけれども。


 ではももクロは他のアイドルとどう違うのか」。
 細かい部分は色々とありますが、私がハマった最も大きな理由(と思われるもの)、そしてももクロを他の存在と同一線上で語ることのできない最も大きな要因が、「楽曲」です。そしてもっと言ってしまえば、その「歌詞」にあります。


 モノノフ(ももクロファンのこと)にとっては解説するまでもありませんが、ももクロの楽曲の歌詞の多く、それもシングルで発表される歌詞の殆どに、「彼女たちの自己紹介」もしくは「彼女たちの名前」が入っています。
 これまでもアイドルの曲、もしくはアイドル以外のアーティストの曲でも遊びとしてそうした「自己紹介曲」が作られ、歌われることは多くありました。
しかし、発表される楽曲楽曲の殆どでしつこいほどに「自己紹介」が語られる、ということはかつてなかったでしょう。


 より実証的にいえば、これまでのアイドルも含めた多くの楽曲というのは「共感性」というものが大きなキーワードになっていました。
 どういうことかというと、同性であれば歌に歌われている同性の気持ちになって共感し、異性であれば歌に歌われているような異性を求めたりすることが、少なくとも日本という国では必須といってもいい要素だったのです。
 これは「私小説文化」と呼ばれる日本に顕著な事例であることもさることながら、カラオケという文化の影響も大きいと思われます。
 つまり、彼女、彼らたちの楽曲は、イコール「聴き手自身」の楽曲になるからです。
 だから聴き手は彼女、彼らたちの曲を気持ちをこめて聴くことも歌うこともできる。それゆえに多くの人の共感を得た楽曲が売れる。そういう仕組みです。
それはそれでまったく悪くはない。


 ところが、これがももクロになると話は変わってきます。
 前述したように彼女たちの楽曲にはまさしく彼女たち自身が歌詞として存在し、彼女たち自身の言葉として発せられるのです。
このことは当然「共感性」の欠如をもたらします。だって、聴き手は彼女たち自身ではないのですから。これまでの多くの楽曲で「私は」「僕は」という言葉で語られてきたものが、「ももいろクローバーZ」として、「百田夏菜子」「玉井詩織」「佐々木彩夏」「有安杏果」「高城れに」(&早見あかり)として語られてしまうのです。


 しかし、この共感性の欠如は同時に「強いメッセージ性」を持つことになります。
 「どこの誰とは知らぬ人」から送られてくるメッセージではなく、ももいろクローバーZという明示的な存在、それも「いま会えるアイドル」という身近さを持つ存在が聴き手に対して語ってくるわけです。
 これはメッセージを受けた側にとっては非常にインパクトがあります。


 AKB48はその革新的なプロモーションシステムで業界を席巻していますが、しかし彼女たちの楽曲、少なくともシングルカットされる曲の多くは、AKB48からのメッセージではなく「共感性」をもたらすものであり、システムを除いた「存在」としての彼女たちは、これまでのアイドルと同一線上に語ることができます(パワーは桁違いかもしれませんが)。


 ももクロの楽曲というと、ヒャダイン前山田健一)提供のものをはじめとして、現代風のアレンジやコミックソングと間違えられそうな歌詞に注目が集まりがちなのですが、私自身がハマった経緯から考えても、実はこの「明示的な個から個へと送られるメッセージ」という部分が最も重要なのではないかと考えています。


 そして、そんな彼女たちから送られるメッセージがまた明確です。
 「全力・笑顔・元気」突き詰めてしまえば、これだけ。
 象徴的なのは、彼女たちが6人から5人になった時に、心機一転発表された『Z伝説 〜終わりなき革命〜』の歌詞でしょう。

わたしたち 泣いている人に何ができるだろう それは力いっぱい 歌って 踊ること!

 そうです。彼女たちはまさしくこの歌詞の通りのことを体言しているのです。
 ももクロの楽曲の歌詞を紐解けばそこかしこに「笑顔」「元気」という言葉が出てきます。もしくはそれに類する言葉の雨嵐です。
 なので、「今ちょっと元気ない」「頑張りたいけど頑張れない」というような人にとっては、ピンポイントで突き刺さります。しかも、それを若くて可愛い女の子が自らの存在をかけて自分に伝えてくれるのです。
 しかも、一度でもライブを見ればわかりますが、それを言葉だけでなく彼女たちは全身で全力をもって表現します。
 それで心が動かない方がどうかしている。オレはライブ見ると毎回泣くよ。


 この「楽曲の独自性」が、私がももクロを「アイドル」という範疇に置かない大きな理由です。
 まあ、彼女たち自身は歌詞の中で「われらはアイドル」と歌っているんですけどね。少なくとも他のアイドルたちと同一線上では語れない、とは言っていいと思います。
 もちろん、彼女たちの楽曲の中にも「共感性」がメインに据えられている曲もあるし、「強いメッセージ性」がない曲もあります。
 ただ「一見ひたすら単なるバカっぽい曲」であっても、それこそが「笑顔を作る」ということを体言しているから油断できない。


 また、この「楽曲の持つ独自性」がこれまでのももクロの歩みにも大きな影響を与えています。
 それは決していいことばかりではなく、「共感性」を排除したがゆえに、広く一般に売れる、ということができにくくなった、ということがひとつ。
 そして同時に、私のようにハマる人は一瞬にして、とてつもなく深くハマる、ということです。
 モノノフ歴1ヵ月半の私が言うのもなんですが、今年に入ってからももクロがブレイクしているのは、単純に知名度の浸透、というだけでなくこうした「ハマっている」ファンを徐々に徐々に上積みしてきた結果だと思います。
 私の周囲には4人のモノノフがいますが、そのうち3人が都内在住でありながら、全国各地のライブに参加しています。どんだけ強烈にハマってるねん、と思いますが、ももクロファン、モノノフたちの多くはそんな感じでしょう。


 さて長々と書いてきましたが、もちろんこの「楽曲の独自性」以外にもももクロの魅力は数多あり、「楽曲の独自性」などとは関係ない理由でモノノフとなっている人も多くいることでしょう。
 (それこそ吉田豪のいう「プロレス性」とかも要因として大きいのでしょうが)
 ただ、少なくとも私にとっては、「彼女たちのメッセージ」が今の自分にとっては大袈裟に言えば生きる糧であり、彼女たちの言葉があるから、こうして彼女たちを追いかけることに結びついています。


 そして最後にもうひとつ、付け加えるならば、「元気をくれた彼女たちに、お返しにオレらも元気をあげたい」という、文面にするとややエモい思いの等価交換もまた、ももクロにハマる大きな理由のひとつである、と言っておきましょう。


 たぶん、あとで冷静になって読んだらファンの超キモイ文章以外の何物でもないと思いますが、それもまた自分ということで。