スラムダンクの六紙全面広告には驚くばかりだが、それぞれ違ったキャラクターだと聞くと全部見てみたくなるのが世の常。というわけで六紙見たい方はこちら
湘北メンバー6人か。個人的には「仙道は神」なので仙道が見たかったなあ。どうでもいいけど読売に花道、朝日に流川、日経に赤木、毎日に三井、産経にリョータ、東京に木暮、という振り分けには何か意味があるのだろうか。アニメはテレビ朝日系列だったよな、確か。
昨晩はBSで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をやっていたのでつい見てしまう。もうストーリーどころか台詞まで覚えてる部分もあるというのにやってると見ちゃうんだよなあ。それでも見る度に何か発見はあるもので、今回一番思ったのは恐ろしいほどのテンポの早さだった。カットが短いのもあるんだけど、それ以上に展開が早い。マーティが30年前にいた時間って映画的には実質1時間もないのな。過去に行って、父親に会って、母親に看護されて、ドクを説得して、父親と母親を引き合わせたらもうダンスパーティですよ。
この当時(1985年)はまだ配給会社の意向が強かった時代で100分を越える映画というのは殆どなかった時代。それが商業性を一番に考えた映画なら尚更だ。おそらくは物凄い量のフィルムがカットされてるんだろう。色んなエピソードや長回しをこれでもかと使う今の時代からは考えられない。ただ個人的にはこの頃の、凝縮されてややもすると急ぎ過ぎに見えてしまうくらいの方が好きだ。短ければいいってもんじゃないけど、人間の集中力の持続時間には限りがあるし、映像や音響のレベルが上がった現在ではより消耗度も高い。歳のせいもあるかもしれないけど、最近では映画を見終わった後の感想でまず出てくるのが「疲れた」になってしまう。昔は「スッキリした」とか「面白かった」が第一声だったのになあ。いつの時代から「映画は約二時間」となったのかはわからないし、その理由も定かではない。フィルムの長さの関係とかももちろんあるんだろう。ただ、それがスタンダードになったことにはそれなりの理由があったと思う。そのスタンダードが崩れてきている最近の映画事情というのはどこかいびつなものも感じてしまう。
自分も芝居をやっていて何が苦労したって物語を二時間以内で収束させることだ。これはホントに大変。結局私はそれができなくて大半の台本は二時間を越えるものとなってしまった。二時間にまとめる技術、それもまたプロに求められるものだと私は思う。