めざましテレビ』を見ていたら、昨日の地震による影響でJRが四時間ほど運休した件に対して「たるんでる」的な表意をしていて、鉄道評論家なる人間まで駆り出して、「震度4程度であの体たらく」みたいなことを述べていた。「いちいち目視とかしてないで運転手が運転しながら安全確認でいい」とか。一応最後にフォローらしきコメントを差し挟んでいたが全体的には「JRもうダメぽ」口調だった。
確かに利用者としてはあの時間帯に四時間運休して新幹線ホテルに宿泊じゃたまったものじゃないだろうが(でも実は一度くらいやってみたい)、こういうことをいっておきながらいざ事故がおきれば「確認が不十分だったのでは?」とか「利益を優先した結果」とか言い出すんだろうな、と想像するとマスコミというかメディアの「言いっ放し」ぶりには辟易する。今に始まったことじゃないけど。
個人的には「意見をコロコロと変える」とか「自分を棚に上げる」という行為は自覚的であれば問題ないと思っているのだが(用法と限度はあるものの)、「え?オレそんなこと言ったっけ?」という態度(そんな態度すらとらないけどね)はどうなん?という気持ちだ。いや、ホントに忘れてる場合もあるだろうけどさ。
そういえば最近のテレビ番組には「芸能人の馬鹿さ加減」を競わせて、それをわざわざ軽蔑的なものとして放送するというような番組が増えた。いわゆるこれまでのクイズ番組とは別で、「こんな簡単な問題もわからんのかいな」というのをあえて見せるというやつ。こういうのを見てると「なんちゅう露悪主義や」と思うものの、見てしまって笑ったりしている自分に気づいた時の自己嫌悪は筆舌に尽くし難い。
というわけで『ヘキサゴン』もものすごい勢いでダメ番組になっていってる。ヘキサゴンじゃなくなったのは今に始まったことじゃないけど、とうとう吉本興業のバーター番組になってしまった。「芸人まとめてギャラいくらで」というやつですね(紳助は別だろうが)。こういうバーター番組は大概馴れ合い番組になっていくのがオチで、そういうのが見えてしまう番組が好きではない。一番嫌いなのはホリプロのバーター番組。和田アキ子と中山秀征のどちらかがたいていは司会。官民の癒着とか天下りとかに近いものがあるよね。
なんてテレビに対する苦言ばかり書いてから、インサイターを読んだら、自分はとてもじゃないが「誉め上手」としてトクするようにはなれんなあ、と思った。いや、なりたいわけじゃないけど、今後はならねばならないことがあるかもしれない(色々あるんですよ)そう考えた時、苦言ばかり書いてないで、たまには褒め上手な内容も書いてみろよ、と思った。まあ、性格の問題というよりもテクニックの問題としてね。ないよりはあったほうがいい。はず。