表現の自由」とか「信教の自由」とか自由を振りかざす前に考えること、やるべきことがあるんじゃないのか。ルールとか法律とか、明文化されたものに拠ることは確かにわかりやすいし、一見正当に見える。でも、そうなのかな?。人間は互いに分かり合えなくなればなるほど、ルールや法律を(哲学と言い換えてもいいかもしれない)作り上げて声高に叫ぶようになったんじゃないの?。宗教とか民族とか歴史とか、そういうことの前に、一人の人間として考える力が失われてるんじゃないのかなあ。
在るものに簡単に拠るなよ。
パスポートの期限が切れていたために(タッチの差というのがもどかしい)、再取得せねばならず、その前段階として住民票と戸籍抄本を取りに行く。会社帰りなので区役所には行けず、行政サービスセンターに行った。ところが、私は住民票は移動したものの、本籍は実家のままだったので、抄本は横浜市で取らねばならないということが判明。幸い、二駅先に横浜市の行政サービスセンターがあったので、慌ててそちらに移動したが、抄本は当日に取れないのね。明日以降受け取りに来てくれ、といわれた。なんだかなあ。
引越しても本籍は実家のまま、という人は多いと思うんだが、そういう人たちはどうしてるのだろう。わざわざ抄本取るためだけに戻ってるの?。しかも当日取れなければまた翌日もだし。行政ってなんだかなあ、である。管轄ってものがあるのはわかるけど、パスポート取るのにこれだけ振り回されるのも納得いかんです。一度に全部やれりゃあいいのに。普通の会社だったら統合化してコストダウン図るところだろうが、公務の場合はそうはならないのだろうね。やっぱりなんだかなあ。
なりたいものになれない、という煩悶はいつまで経っても、いくつになっても止みはしない。だが、それでいいのだ。生涯、誰かに嫉妬しながら生き続けるだろう。