まだまだ日本はサッカーよりも野球の国なんだなあ、ということを実感。だからといって号外欲しさに将棋倒しで怪我人続出ってニュースには呆れて物が言えない。何考えてんだか。それにしてもイチローのキャラ違いは今後どうなるんだろう。
Op.ローズダスト』をいったん脇において某Eの原稿下読み。ペンを片手にチェックしつつ読んでいると編集者にでもなった気分。しかしこれを毎日やらねばならない編集という仕事はキツイですな。油断した読み方が出来ない。
普段は読み込みの浅さを恥じ入ること多しの私ですが、こういう読者も中にはいてもいいのではないかと開き直っている。全ての読者がその本の持つ真実に近づけるわけではない。リテラシーのレベルは様々で、だからこそこういうレベルの読み手が存在して語ること自体にも何らかの意味はあるはず。
とはいえ作者の側から見たらウザイ存在なのかも知れぬなあ。
自我の発露というのが許されるタイプと許されないタイプがいるような気がするんだけど、それはその人の特質ではなくて受け手側の勝手な選択なのかしら。それともある程度は普遍性を持つのかしら。まあ、発露の仕方(言葉や方法論)にもよるとは思うのだが。
さーみんなでかんがえよー <激古っ。