『悪いうさぎ』若竹七海(文春文庫)(ISBN:4167679167)

ハードボイルド女探偵・葉村晶シリーズ初の長編で、若竹七海の小説としては厚い方だと思うがスラスラ読める。作者の文章力もさることながら、長編といいつつも事件が折り重なっていく連作短編的な手法や、メインの事件とは別の事件を織り交ぜるなど、展開が色々とあるからだろう。
若竹七海自身が海外作品好きということもあると思うが、女探偵・葉村晶の造型を含めた「ハードボイルド」の味付けは非常に海外っぽい。基本的にハードボイルドというのは生活臭のある作品だと個人的には思っていて、決してカッコいい刑事や探偵が夜の街を闊歩したり、血腥い事件を追うことではないと思う。その点において本作はまさしくハードボイルド。家賃の安いオンボロアパートに住み、月の生活費に頭を悩ませ、特にこれといった特技も持たない一人の女探偵。相手にするのは金持ちだったり、変態だったりとデフォルメされたキャラクタでありながら、やはり彼らも単純にステレオタイプ化された側面だけをもつのではなく、同時に非常に人間臭い。それでいてエンタテイメントとしても読ませることが出来るのは作者の力量の所以だろう。「無力さ」という若竹七海らしいアイロニーに溢れながらも決して読後感が悪いだけに終わらないのはそうした部分が寄与していると思う。これは若竹作品にしては珍しいんじゃないかな。いつもはもっと後味悪いぞ。
ただ、残念だった部分もあるにはある。最も残念だったのは葉村晶という探偵の持つモチベーションだ。ハードボイルド作品を読む面白さのひとつ、というか大きな要因には主人公のモチベーションがどこから来るのか、ということだと私は思っている(違うという人もいるだろうが)。前述したようにこれといった武器のない彼女の唯一ともいえる武器は「しつこさ」である。一度は依頼人が手を引いた事件でも、様々な事情から彼女は捨て切れない。さらには殺される寸前まで行きながらも彼女は決して逃げ出したりしない。その彼女のモチベーションがどこにあるのか、単なる性格と言い切ってしまうにはあまりに大きな部分だと思う。
実をいえば過去の短編集を読めば、彼女のそうした人格形成の一端も語られている。本作でもホンのちょっとだけ触れられているが、それは私が過去の作品を読んでいるからであろう。初読の読者であれば気がつくことは難しいと思う。そうした意味で、本作が単独の作品として帰結していないのが悔やまれる。シリーズものとはいえ、初の長編であり、葉村晶という女探偵をじっくり描くチャンスに恵まれながら、おまけに最もモチベーションが必要とされる物語を描きながら、その出発点となる部分について語られていないことが不満といえば不満であった。
事件の真相(というか「悪いうさぎ」というキーワード)は勘のいい読者なら中盤あたりでおおよその見当はつくと思う。実際珍しいことに私ですら気付いた。そのための伏線は結構露骨に張られている。それがミステリ的に弱いのかどうかはわからないが、それに気付いた上で読んでも本作は充分面白い。基本となる骨子がしっかりしている小説というのはそれだけでも面白いものだ。
そういえば『依頼人は死んだ』で登場した天敵(?)についてはまったく触れられてないですね。どうなるんかな。