『マンガの深読み、大人読み』夏目房之介(ISBN:4757140843)

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いきなり余談から入る。私が本書に手を伸ばした理由はいくつかあるが、ひとつには夏目房之介の著書だからという理由と、もうひとつはタイトルそのものである「マンガの深読み、大人読み」という行為そのものに対する憧れからである。厳密にはこの二つの理由は同一の根から生えている。
数年前までの私は「マンガは面白ければいい」と思っていたし、今でもその思い自体は変わらないのだが、「面白い」という言葉でしかマンガを語れないことに不満(不安)を感じはじめた。まがりなりにもサイトで本のレビューを書き、マンガについても簡単な感想を載せているが、どうみてもマンガについては片手落ち感が否めない。というかそもそもがマンガに対してそういう読み方をしたことがないのだった。
そんなモヤモヤ感を残しつつ、毎回『BSマンガ夜話』を見ているわけだが、その中で常に「夏目の目」のコーナーは私にとっては発見の連続だった。マンガをマンガとして読みつつ、それでいてキチンと「大人読み」もしている。本作で著者も述べているように、マンガというのはこれまでストーリーやテーマを語られることが殆どで、絵や構成といったビジュアルな面から語られることは殆どなかったということだ。それこそ片手落ちとしか言い様がない。「夏目の目」ではそうしたこれまでの「マンガ語り」とは違い、絵や構成にも注目し、ストーリーやテーマをも含め総合的なマンガとしてマンガを読むこと、語ることの面白さを教えてくれたのである。
というのが私が本書を手に取った理由である。で、上記のような観点から本書を語るならば、少々残念だったと言わざるを得ない。ただし、早合点して欲しくはないのだが、それはイコール本書がつまらなかったということではないのだ。あくまでも個人的な目的の問題。目的は果たせずとも本書は充分に面白かったのだ。
本書は大きく三つの章に分かれて構成されている(目次詳細は夏目氏のサイト参照)。
第一部は「マンガ読みの快楽」。様々な雑誌で掲載されたコラムを集めた部分である。この部分が「深読み、大人読み」としては最も目的に適った部分で、なるほどと手を打つことしきり。中にはページ数の関係からか論旨が巧くまとまってないものや、著者のブレインストーミングで終わってしまっているものもあるのだが、それも含めて興味深かった。特に面白かったのは、「DRAGON BALL試論」と「大ゴマ使いの形而上学」の二つ。「DRAGON BALL」については、ある程度のマンガ読み(特にジャンプ読者)なら誰でもおぼろげに感じているこのマンガの凄さと他のバトルマンガとの違いを「敵と後見人の増殖反復モデル」という図式で見事に看破しており、「ああ、そうだったのか!」と腑に落ちた。こうしたモデリング作業というのは私の最も不得意とするところであり、それを明示されたことで非常にスッキリした気分だ。「大ゴマ使いの形而上学」では、永井豪の作品を例に取り、いかにしてマンガのコマ使いが大きくなっていったかを、「ページ単位のコマの平均値」で検証している。こうした検証自体になんの意味があるのかは誰にもわからないが、個人的にはこうした疑問や好奇心は大いに共感する。私自身過去に「『DRAGON BALL』はトーンを全然使っていない気がする」と思って実際に手近にあった一冊(確か17巻あたりだった)で検証してみた結果、一冊の単行本で3コマしかトーンが使われていなくて驚いたということがあった。さらに「物語は長大化したか?」というバカな検証までしたことがある。こうしたところも私が夏目氏にシンパシーを感じる部分かもしれない。
ただやはり、「深読み、大人読み」として満足はできなかった。もう少し個別作品ごとの読み解きがなされていたらよかったのだが(「夏目の目」やよしながふみ論のように)。とりあえず別冊宝島の『マンガの読み方』は何とかして手に入れて読んでみたい。
第二部は「『あしたのジョー』&『巨人の星』徹底分析」となっており、こちらは既にいくつかの媒体として一度発表されたものを再度まとめたもので、『巨人の星』、『あしたのジョー』それぞれを作画者(川崎のぼるちばてつや)、梶原一騎夫人、当時の編集者や関係者へのインタビュー。
この章は当時をリアルタイムで知らない私にとっては「へへえ。ほほお」といった感じでひたすら興味深く読んだ。『あしたのジョー』の部分に関しては『BSマンガ夜話』でかなり語られていたので再検証するような感じであったが、直接関係者の口から聞かされるとまた想いが深くなる。
二つの作品を語ることは同時に「日本のマンガが青年期に入った」ということ、特にこの当時の「少年マガジン」を語ることとほぼ同義であり、いかにこの二作品(少年マガジンと言い換えてもいい)がその後のマンガ界に大きな影響を残したのかがわかる。その意味では『巨人の星』と『あしたのジョー』が時代を超えた名作となり得たのは時代という大きな要素を抜きには語れず、今なぜこうした作品が現れないのかと語ることは意味がない。音楽におけるビートルズのようなものだと思う。

インタビューの中で印象に残っているのは、ちばてつやが「『ジョー』のあとは『のたり松太郎』『あした天気になあれ』のようなデブのキャラクター描いてるからね」と語っていること。それだけ作者のちばてつやにとっても力石の減量やジョーのストイックさが影響を及ぼしているということだろう。それと、編集者たちのインタビューで「編集者がマンガ家のハシゴ」になって、マンガ家の「教育サイクル」が出来ていった、という言葉にも日本のマンガ業界独自の発展のヒントを見た気がする。
そして第三部は「海の向こうから読むマンガ」と題して、主に日本のマンガの海外輸出と外国のマンガ事情に関しての考察。この部分もややまとまりに欠ける印象だが、その中でも示唆に富む部分は多々ある。特にマンガという媒体が基礎研究や産業論としてまだまだ未熟だという点、さらには日本の出版の4分の一から3分の一をマンガが占めておきながらも位置づけが低い点などは大いに考えさせられる。こうした問題はひとつの側面から見ても解答は得られないが、文化や経済という大きな枠も含めて考えさせられる。というか考えた。ここから派生した個人的な思いつきについてはまた別途書こうと思う。
そんな感じで当初の目的に対しては大満足とはいかなかったものの、本書自体は非常に面白く、かつ大いに考えさせられた。夏目氏によれば

いわば『深読み』は『マンガ学への挑戦』を総論とすれば各論、あるいは応用編という位置づけになる。

ということなので『マンガ学への挑戦』(ISBN:4757140843)を読むのが今から楽しみである(でもこれって順番逆じゃない?)。それにしても夏目房之介の語り口ってのはいいなあ、と思う*2
最後に、出版不況に対する夏目氏の言葉を引用しておく。個人的にはこの問題についてはまた別に語ろうと思う。

ブックオフマンガ喫茶などを仮想敵にする出版側の不況論もあったが、どうみても減少する書店棚面積に、当面の売掛金目的のために点数をふやし、一点あたりの部数を減らして本を流し込み、流れる本も売れなくして自分の首をしめ続けた出版界自体の責任の方が大きいと思える。私自身は出版不況もまた戦後体制の金属疲労のひとつであり、出版の流通など制度的な構造問題が根底にあると考えている。

*1:読み終わってすぐの感想なので、また後で追記・修正するかもしれないし、しないかもしれない。

*2:氏の「である」の使い方は絶妙だと思う。っていうかちょっとうつったんである