春眠暁を覚えず。孟浩然って膀胱炎と似てませんか?。似てませんかそうですか。こんな店にはもう来ねえん。
『優しい時間』。誰もが予想した通りの終わり方で、安心して最終回を見れました。とか言っときながら長澤まさみが茶碗持った時に「まさかここで落とすのか?これまでの皿割りはここでの伏線だったのか?」とかハラハラしてしまったのはナイショだ。なんか長澤まさみの顔が変わった。ドラマの設定上「生まれ変わった」っていうことなのか、単に成長したからなのか。大竹しのぶの台詞は良かったなあ。

あなた、前に言ってたわよね。
若いカップルはお互いを見つめあってる。
でも年老いたカップルは同じものを見るようになるって。
私は今も、これからも、ここで、このカウンターであなたが見ているものを一緒に見ているわ。

憶えてないから大体こんな感じだったという記憶で。この台詞の後、二度と大竹しのぶは姿を現さない。あの大竹しのぶの幻影が、寺尾聰の作り出した都合のいい妄想なのかどうかはわかりませんが、亡き妻の台詞としては最高だったと思いました。
特に新しいこともなく、退屈な人には退屈だったドラマだったとは思いますが、私は好きだったなあ。このドラマの主役はある意味で「森の時計」という喫茶店で、私のような世代は最後の喫茶店世代なんじゃないかと思う。いわゆる「いきつけ」の喫茶店に憧れた世代。「マスター、いつもの」とか言ってみたい、というアレ。常連さん同士で語らっちゃうよな、そんなものに憧れてました。原体験は『750ライダー』でしたね、間違いなく。よくよく考えればゴレンジャーだって仮面ライダーだって喫茶店(洋食屋?)ってのが重要な舞台になってたんだよな。今ではオシャレなカフェになり、コミュニケーションどころかプライベートな空間を楽しむ場所が殆んどになっちゃいましたね。寂しいもんだなあ。とジジィは思うのでした。