書店で本屋大賞とかボーっと見てて思ったこと。派生事項なので特に本屋大賞についての苦言とかそういうことではない。
夜のピクニック』の新潮社をはじめとして本屋大賞のランキングを見てみると光文社、講談社文藝春秋双葉社小学館という名前が挙がっている。御三家の集英社の名前がないものの、まあどこも出版界では大手といって間違いないだろう(双葉社はやや中小?)。この本屋大賞自体が「全国の書店員が選ぶ」賞であるから、必然「全国の書店に行き渡る本」が選ばれるのは致し方のないことだと思う。さらにこの賞自体が「書店の売り上げ活性化」に寄与するわけだから、そういう意味でもある程度売れる作品、もっといえば既に「ある程度売れている」作品が選ばれてしまうのは当然といえば当然である。店に在庫がない本は読めないし売れない。大幅な増刷が見込めないものは売れない。それを理解している上でこのことに違和感を感じ得ないのも確か。
結果的に既に売れている本を後押しする形での貢献にはなっているとは思うのだが、ハッキリ言ってしまえば目新しさはない。ランキングこそ独自なものになったとしても、そこに挙がっている書名自体はある程度の本読みならどれも聞いたことのある本だし、そのうち何冊かは読んでいるだろう。事実私も4冊は既読だった。文芸もエンタテイメントも時代小説も歴史小説も一緒くたになったランキングや同じラインで選考されるということは素晴らしいことだと思うのだが、一冊一冊に目を向けると、それぞれのランキングや賞で選ばれているものばかりなのだ。『対岸の彼女』なんて直木賞だしね。
一応、本屋大賞には「発掘部門」というのがあるらしくて、これは新刊書籍以外の全ての本が対象ってことになっているんだけど、個人的にはこっちの方が面白味は大きいんだよね。ただし、コンセプトは、というだけなんだけど。なんでかというと、こちらも書名を追いかけると結局はあまり知らない本はないわけです。っていうか昨年のを例に出すと『半落ち』とか『鋼の錬金術師 3』とか挙がっちゃってる。そりゃ、いい本(マンガ)なのはわかるけど「発掘」なのかよ、と、しかも「3」かよ、と。。まあ、一年目だし、コンセプトが面白いとはいえ逆にいえば曖昧なわけだから玉石混交になってしまう、いや、玉ばかりだとしても趣旨と違うものが入ってきてしまうのは目を瞑れって話ですがね。
誤解しないで欲しいのは「これじゃ本屋大賞の意味がない」とか言いたいわけではない。前述したように書店の売り上げ活性化という意味では充分意味があると思うし、こうした混在ランキングにもなんらかの意義はあると思う。ただ、個人的には「書店員ならでは」という部分がもっとあってもいいんではないか、と。毎日本に接している人間だからこそわかる、知っている、その辺の新聞記事やランキングには載ってないけどこれは面白いんだよ、という本が選ばれていたら、さすがは「本屋大賞」ってことになるんじゃないかと。
ただ、これもまた前述したように「全国の書店に流通する」本でないとなかなか選ばれないわけで、おまけに現在の書籍の発行部数から考えたら書店員だからといってそれら全てを把握することができるはずもない。自ずとこういう結果になってしまうのは仕方のないことなのだろう。まあ、もしかしたらこうした賞やランキングに選ばれる本なんてのは結局年に何冊かしかないから、どれもこれも似たようになる、という冷たい見方もできないことはないのだが。さすがにそれは本読みとして哀しいので、そんなことはないと思いたい。
なんにせよ、「ベストセラーを作る」という動き自体が出版界に活力を与えるのは多分事実だと思うし、繰り返すが本屋大賞自体の存在を否定する気はまったくありません。一人の本読みとして、それも幼いことから書店という場所をどんな遊園地よりも好きだった人間として、書店と書店員という存在は特別なものであり続けて欲しいと思うのです。だからこその過度な期待。過剰な期待、と言われるかもしれませんが。
とか長々と書いておいてなんですが、そうはいっても様々な理由から、現実的には無理なんだろうな、とは思ってます。前述したような流通の問題もあるし、なにより投票によるランキングというのは結果的に普遍性を持った結果が出てきてしまうことは統計学でもわかってる。だからまあ実際は本屋大賞に対して、というよりもそれとは別にそうした「書店と書店員の視線」というのを反映する方法はないもんかな、とかつらつらと考えていたわけでした。まあ『キノベス』みたいなものもあるわけだけどね。より広い視点からみれば、大型書店化が進み、小規模で仕入れに個性が見えるような書店が減ったんだから結果的にこういうものになるのは当然といえば当然だということだ。そして、それは多くの一般層に売れる(気に入って貰える)本という観点から見れば最も正しい帰結だということになる。じゃあ、問題ないじゃん。ということで、私の不毛な思考は終わるのでした。