『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』桜庭一樹(ISBN:4829162767)

冒頭、いきなりラストが明かされる。つまり読者はそこへ辿り着く道程を歩むことを強制される。それがたとえ、どんなに辛い道程であろうとも。
これを単純に小説として評価していいのか、評価というのが大袈裟でもそういう視点で切り取るだけで果たしてお前は満足なのかと自問自答する。答えは否。小説、というある芸術活動の表現媒体という指向性からこの作品について語っても、そこにはわかったような言葉や小説的に云々、といった不毛な言葉たちが流れ去るだけだ。
では、どんな言葉で語ればいいのか。それすら思いつかない。言葉なんかいらない、だから読め、とも言えないし、言わない。ここにあるのは、この作品と向き合う機会を持ったものだけが感じる、それが幸運なのか不幸なのかはわからないが、その感情だけだ。その人だけの感情。おそらく。
ラノベ、ミステリ、自分のことを「ぼくは人魚」と称するエキセントリックな美少女、少女を虐待する父親、貴族の様なひきこもりの兄、実弾、砂糖菓子、バラバラ殺人、セカイ系、オトナ、コドモ。そんな言葉達をいくら並べたところで何も語ったことにはならない。
終着点を知った上で、二人の13歳の少女の道行きを見守ることしか許されない、無力な神の視点で自分が何を感じるのか。ただ、それだけだ。共感、嫉妬、嫌悪、同情、不安、不満、感動、無情、愛情。そこに生まれる感情がどんなものであれ、多分それは凄いボリュームで襲ってくるだろう。少なくとも自分にとってはそういう作品でした。
いつものように小説としてとか、ミステリとしてとか、それっぽく語ることも出来るし、語りたいことも結構ある。それでも色々書いてみて「こんなこと書いてなんの意味がある?」と思ってしまうのでした。その辺について聞きたいことがある人は直で聞いてくれ。これすらも無駄な文章だ。