笑いのルーツ

昔、数名の脚本家や演出家(無論、皆アマチュアだが)と、脚本を書いたり演出をつけるときに自分がどんな笑いを目指したり意識しているか、自分の笑いのルーツはなにか、ということを話したことがある。
私や私より上の世代は、やはりまず第一にドリフが頭に浮かび、それより下の世代はひょうきん族、という声が多かった。この二つは間違いなく共通認識で、演出家と役者だけでなく、観客に対しても共通認識となって通じるものである。ただやはり、ひょうきん族よりはドリフの方が芝居向きであり、「ドリフのあの場面を」というイメージが大きいね、という流れで話は進んだ。
そこに自分も一緒に頷いていたら、「いやお前のギャグはドリフじゃない」と一人の演出家に指摘された。自分としてはメジャーな笑いとしてのドリフは意識していたし、別に根本的にオリジナルなギャグをやっているつもりでもなかったので「そうですかねえ」とその場では答えたのだが、その人としばらく話しているうちに、その人が言う「ドリフ的でない」部分がどこから出てきたのかいくつか思い当たった。
そのうちの一つが『Mr.BOO!』である。まあ、ジャッキー・チェン(もしくはサモ・ハン・キンポー)と言い換えてもいい。私が好んで使う笑いの質に「アクションとリズム」というものがあり、これは間違いなく当時の香港映画から影響を受けている。わかりやすくいえば、右・左・右・左とパンチが出てきて当然次は右が出てくるというところに左のパンチ、みたいなやつ。これはもうマイケル・ホイとジャッキー・チェンの映画では定番だ。そして、よりマイケル・ホイの影響が大きいのは、「本人は至極真面目にやっているつもりである」ということ。当の本人は大真面目だからこそ、余計におかしい、そういうタイプの笑い。マイケル・ホイは始終これである。本人は絶対に笑わない。これと同じ系列に属するのが『ピンクパンサー』シリーズのクルーゾー警部、つまりピーター・セラーズであり、私はここからも非常に大きな影響を受けている。笑わすためのリアクションではなく、ごくごく真面目なリアクション、それが逆におかしい、というスタイルの笑いに私はとことん弱い。このタイプの元祖はおそらくバスター・キートンになると思うのだが、キートンの映画を見たのはマイケル・ホイやピーター・セラーズの後であった。
そして、より身近な笑いのルーツに関していえば、私はドリフよりも『カックラキン大放送』の方が好きなのである。いわゆるドリフ的な笑いの「間」やリアクションと私の演出が微妙に違うのはそのせいだったと思われる。私がダジャレ好きなのは井上順のせいだし、コケのパターンがドリフや吉本新喜劇と異なるのは堺正章のせいである。そして、ここでも本人大真面目パターンの笑いがあり、それは誰あろう「刑事ゴロンボ」の野口五郎である。この人はダジャレも真面目な顔で言う。この辺りの笑いの差は微妙といえば微妙な部分だが、やってみると実際違うものなのだ。
この時まで自分の笑いのルーツがどこにあるのか、自分が何をイメージして脚本を書いたり演出をつけたりしているのか意識していなかったが、その後は上記のルーツを意識するようになった。だからなんだってわけじゃないんだけど。役者たちはわかってくれなかったし。
てなことを今回『Mr.BOO! DVD-BOX』を購入したことで思い出した。と同時にだからこそ、こうまで欲しくなったのだと自分に言い聞かせる。自分のルーツは大事だよね!。できれば『カックラキン大放送』もドリフみたいにDVD化して欲しい。