昨日は親子丼を作ったのはいいのだが、冷凍しておいた米の量が予想以上に多くてご飯代魔王の私ですらかなり厳しい戦いを強いられた。最近は夕食時の炭水化物量を制限していたというのに。少し真面目にダイエットした方がいいと思う今日この頃。
そういや一昨日は飲みに行ったので『スローダンス』を見なかった。まあ、どうしても見たいわけじゃないんだけど(むしろどうでもよい)、暴走っぷりがどうなったのか気になっていてレビューサイトを読んでみた。…予想通り暴走しまくりらしい。来週最終回?。じゃあ一応見とくかな。久々にここまでどうしようもないドラマ見たし。貴重だ。
で、余計なことをつらつら考えていたんだけど、このドラマで個人的にとても気になるところがある。というのは、登場人物は全員社会人で、深津絵里と広末はブランドショップの店長と店員。妻夫木は教習所の教官、藤木直人は元証券マン。その他にキングコング西野ともう一人専門学校の同窓生がいる。それで何が不思議かって、この人たちの住んでるところの距離感がまったく見えないんですよ。妻夫木は教習所まで原チャリで移動してて、その他の場所(友人の鉄工所とか温水の店とか)にも原チャリで行く。対して他の登場人物たちは交通手段を見せたことがない。常に歩いている。けど駅とかバスとかの描写もない。全部歩き。深津絵里は店や飲み屋の帰りに妻夫木のマンションを通りかかったりする。ストーカーじゃないとすればご近所さんってことになる。だから、これが脚本家の怠慢(登場人物たちの居住位置をまったく考えてない)でないとすれば、この物語はご近所もの、ということになる。
私は別にドラマに詳しくもないし、特に月9の流行というか伝統がどうだかわからんわけだが、自分の生活に照らし合わせると、社会人や大学生(専門学校生)になってからそんなにご近所さんばかりで生活圏が埋まるとは思えないってことなんだよなあ。思えないってのはイコール共感ができないってことなんですけどね。主人公とヒロインが、というシチュエーションならまだわかりますよ。それだからこそ生まれるエピソードとかもあるしね(『ラスト・クリスマス』なんかはその典型例だったし)。でも登場人物の殆んどが全てご近所さん、それも昔からの知り合いでもないのに、ってのは世界が狭すぎる。別に縮図的なイメージを与えている演出でもないから、やっぱりこれは手抜きっていうか怠慢だと思っちゃうんだよねえ。演じてる役者たちも違和感感じないのかしら。
例えば『電車男』なんかはまさしく移動手段という場において恋が始まるというドラマ(もともとは2ちゃん発信だが)なわけで、だからこそ本当はどうかは別として「リアル」を感じて盛り上がったりするわけだ。今の世の中で周りにいる人間が全員一般の交通手段を持たず、毎日のように偶然町で出会ったり、行きつけの居酒屋にたむろする、というシチュエーションに違和感感じない方がおかしい。そういうディティール(というほど細かい部分だとも思わないんだけど)が適当だと結局大事な部分の説得力にもどうしても欠けることになると思う。
というかこういう隙間だらけのドラマが月9という一応はブランド化された枠で流されている、ということに驚きを覚えるし、日本のテレビドラマの質の低さを物語る。そりゃー、マンガや小説のドラマ化が増えるわけだよな。