『大統領の理髪師』(2004 韓国)(ASIN:B0009V1D60)

監督:イム・チャンサン、出演:ソン・ガンホムン・ソリ、リュ・スンス
ソン・ガンホは韓国の、いや現代のフランキー堺である。
1960年代の韓国、大統領官邸のある町、孝子洞。町の理髪師として働くハンモは(ソン・ガンホ)、地方から出てきたアルバイトの娘を孕ませてしまい、当時の「四捨五入」の法律に則り、子供を生ませて結婚する。子供には平穏で長生きをしてもらいたいと思い、楽安(ナガン)と名付ける。おりしも、韓国は不正選挙で大騒ぎとなっていたが、一介の理髪師であるハンモは国の動きには疎く、近所のチェさんが言うまま、不正選挙を手伝ったり、店に大統領の写真を飾ったりする。
ひょんなことから大統領の警備局長に目をつけられたハンモは、大統領専属の理髪師として官邸に出向くようになる。世間的には認められ、店も繁盛するハンモだが、官邸での人間関係、周りの人間の媚など、気は休まらない。
そんな折、北朝鮮からのスパイが韓国に侵入。彼らが伝染性の下痢をもたらしたことから、下痢の人間は「マルクス病」と呼ばれ、官憲に片っ端から捕まえられてしまう。そして、ハンモの息子であるナガンも下痢に。ハンモは祖国への忠誠を見せるために、ナガンを警察に引き渡すが、ナガンはそのままスパイ容疑をかけられ、中央情報局で拷問にかけられる。
全体にコメディ風にあしらわれているものの、この映画で描かれている内容はとてもシリアスで、きつい内容だ。私は韓国の事情に詳しくないので、どこまでが事実かはわからないが、「マルクス病」の辺りが事実だとしたら酷い話である。私が生まれた1970年当時に、まだこんな非人道的なことが韓国で行われていたのかと思うと暗い気持ちになる。
そうした中でソン・ガンホが演じるハンモは、実直を絵に描いたような、街の「いいオジサン」である。学がないから、学のある人の話を信じ込み、息子にはいい格好を見せようとし、権力にはへつらう。彼の人間らしさが、本来シリアスなストーリーなのに、笑いとペーソスを与える。だが、その分だけ悲しさもまた増してくる。
フランキー堺の名を挙げたのは、この映画を見て思い出したのが、『私は貝になりたい』だったからである。そういえば『私は貝になりたい』のフランキー堺も理髪屋の主人だった。人のいい主人公が、国家という化物に翻弄されるという意味では同じテーマである。そして、ソン・ガンホという役者もフランキー堺のどちらも三枚目であり、コメディ色が強く、それでいてシリアスな映画でも味のある演技を見せていた、という理由ではあるが、それだけでなくこの二人と比べても遜色がない演技をしていると思う。この映画だけでなく、他の映画も見た上での話だが。
監督のイム・チャンサンはこれが映画デビュー作ということだが、その抑えられた演出といい、時折差し込む歴史上の事実といい、デビュー作とは思えない巧さである。ハンモが大統領(絵の)の目を削る時に流した涙。あの部分にハンモという人間像がとてもよく現れていて、監督が細部に渡ってまでハンモや他の人間のキャラクターを考えているのが伝わってくる。その中でもリュ・スンス演じるジンギという理髪店の見習いの役は良く出来た役だと思う。この監督の次作には期待したい。
公開当時、風刺映画とかコメディといった評判をよく聞いたが、とてもそんな軽い気分で見れる映画ではなかった。個人的には『私は貝になりたい』と同じくらいの悲哀を感じつつ見た映画。ただ、こちらの方が救いがある分、見終わった後の気分は楽だった。
韓国映画を通して、韓国を好きになった私だが、まだまだ私の知らぬ韓国がここにはある。より韓国を知るための作品。