昨夜、『すぽると』で仰木彬監督の追悼特集として近鉄ファンなら忘れられない1988年の10.19の映像と、当時のナインのインタビューを流していた。
この時の記憶は未だに鮮烈で、私のプロ野球観戦史上最も記憶に残っているものでもある。というか身体に刻み込まれている(比喩ではない)。というのも、この日、近鉄が優勝を逃したその瞬間、それは忘れもしない『ニュース・ステーション』の放送時間をぶち抜いての放送の最中だったわけだが、羽田の打球がセカンド・ゴロ、ゲッツーとなったその瞬間に私は頭を抱えて「ぐわーっ」と叫んで大きくのけぞったのだ。すると私の後ろにあったのは巨大な書棚。私は頭を抱えた右手の親指を頭と書棚で思い切り挟んでしまったのである。しかも角。近鉄が優勝を逃したショック以上の激痛が右手の親指に走る。見る見る腫れ上がる親指。そして爪の中には大きく赤黒い血豆が。テレビの前でのた打ち回る私を見て母親が一言、「優勝しなかったくらいでそんなに暴れなくても」。ち、違うんだって、痛くて死にそうなんだってばよ。というわけで、この試合のことは忘れたくても忘れられないのである。この後血豆は4年もの長きにわたって親指に残り続けたのであった。
そして翌年の10.12、近鉄は同じダブルヘッダーでブライアントが奇跡の4打席連続本塁打を放つ。この日の興奮も忘れられない。おかげで私にとっての最強助っ人外国人は未だにブライアントである。このダブルヘッダーで昨年の雪辱を果たした近鉄は見事優勝。晴れて日本シリーズに進んだわけだが、この日本シリーズにもまた痛烈なオチが待っていた。今日陣相手に三連勝の後、かの有名な「巨人はロッテより弱い」発言。そして悪夢の四連敗で日本一を逃すのである。
しかしまあ、思い返してみてもあんなに真剣にプロ野球見てたのはあの当時だけだったかもしれない。この当時の試合の模様を熱く語っているサイトを見つけたのでリンクしておきます。→Remember Pacific