そんなわけで激しく眠いです。遅刻もしました <オイ。
いやしかし、オリンピックが行われているというのに変わらぬ日常を過ごせる人たちというのが不思議な存在に思えて仕方がない <お前が変だ。冗談はさておくとしても格別スポーツに興味がない人でも、オリンピックというイベントはそのグローバリズムを共有する上でも面白いコンテンツだと思うんですよ。といいつつも実際のメディアの報道ではグローバリズムどころかナショナリズムが前面に押し出してきているわけですけれども、この手のナショナリズムはまあ許容の範囲。スポーツを全肯定するわけではないし、ましてや商業主義に彩られたオリンピックやワールドカップなら尚更ですが、「4年に一度しか見られない」、けれど単純な希少価値だけではないコンテンツとして楽しんで見るのも一興かと。
と色々書いて自分の行動を認めさせようとするのであった。
昨日書いた「全てを見渡すことができなくった」ことから生じるジャンル内での印象批評についてだが、ここ最近の大森望フィーバーはそれを指し示すひとつの指標なんではないかと思ったり。これだけジャンルが拡散、肥大化した中ではかつての「ミステリ評論家」では手が届かなくなった領域が多々あり、一部読者層との乖離も実際に起こっていると思う。そうした中で大森望という存在がその拡散・肥大化にもっとも順応に対応している批評家だからこそ、多くの場面で求められているのかもしれない。とか思った。それくらい最近の大森さんの仕事ぶりは凄い。アレだけ原稿書いて翻訳してサッカー見てアニメ見て映画見て、よくぞアレだけの本が読めると尊敬しますよ、ホント。でも身体はお大事に。