泣いた。荒川静香の演技が終わったその瞬間と、スルツカヤが転倒してしまったシーンと、表彰台の三人にメダルがかけられる時に解説の佐藤有香が引用したクワンの言葉に。
荒川はインタビューで「メダルのことは考えていなかった。ただオリンピックの雰囲気を楽しみたいと思っていた」と語った。彼女は大会前のインタビューでも、「今回はメダルのことはどうでもいい。自分が楽しんで滑りたい」ということを幾度も語っていた。それは決してメダルを意識し過ぎないようにしようということからくる言葉ではなく、本心だったと思う。SPでも今日のフリーでもそれくらい「気負い」というものが感じられなかった。だから見ている私もハラハラドキドキしたりすることはなく、ただその演技を、その美しさを眺めているだけだった。安藤は四回転ジャンプという彼女なりの結果を求めて焦り、コーエンは転倒というミスをカバーしようと頑張っていた。村主はおそらく直前の荒川の演技と観客のスタンディングオベージョン、そしてその点数に意識が残って普段よりも力の入った演技になり、女王スルツカヤでさえ、オリンピックの緊張感に捕らわれてしまった。
しかし、そんな中で荒川だけは冷静にというよりも、自然なスケーティングをやってのけた。個人的にはイナバウアーが短かった(前のインタビューではロングでいく、と語っていたから)のが残念ではあったが、それでも十分に魅せられた。観客がこの日最初の、そして一番のスタンディングオベージョンだったのも当然のことだったろう。
私には8年前の長野オリンピックで13位という結果に終わり、16歳の少女だった頃の荒川静香の記憶は殆どない。そして同時にそれ以後も彼女が世界選手権で優勝するまで、どこかで「日本の二番手、三番手の選手」というイメージがあった。スケーティングには定評があってもジャンプやスピン、演技力が際立つわけでもなく、クワン、スルツカヤ、コーエン、日本でいえば村主、恩田などよりも目立たないという印象だった。その彼女が世界選手権で優勝した時、確かに彼女はパーフェクトだったが、周りのミスもあったし、結果的に彼女自身がそれ以後迷走してしまったように、「荒川静香の演技」の得点の源がどこにあるのかよく理解出来てはいなかった。しかし、今回それがやっとわかった気がした。彼女はジャンプやスピンといった技術、演技といった競技としてのフィギュアスケートを見せることに長けているのではなく、フィギュアスケートいう競技を通して「彼女自身を見せる」ことに長けていたのだ。そして最高の結果が出た今日、やっと私にも彼女の素晴らしさが理解できたような気がした。
そしてスルツカヤソルトレイクに続いてまたしても金メダルはならなかった。なぜ最初のコンビネーションを単独で跳んだのか、この時点から不安はあった。しかし、誰よりも高いジャンプを放つ彼女の姿を見て安心していた。だが、転倒。そして、コンビネーションが出ない。7回も世界選手権を制しながら、「女王」と呼ばれ続けても獲れないオリンピックの金メダル。ロシア初の女子シングル金メダル、ペア、男子、アイスダンスと続き、ロシアが金メダルを総なめにするかもという周りの期待、そういった全てが彼女のプレッシャーになったのかもしれない。
荒川とは逆に、長野オリンピックでもっとも印象に残ったスケーター、それがスルツカヤだった。今と同じく、それ以上に赤く染まった頬、その躍動感。それ以来、彼女のファンだった。怪我、病気、そういったものを乗り越え、女王として君臨するようになっても、彼女の滑りに驕ったような感じは一切なく、結果として女王の風格はあっても、私の中では長野オリンピックの時の印象が残っている。だが、逆にそれがソルトレイクに続いてまたしても金メダルを逃したことと繋がっているのかもしれない。しかしまた、そういうところがスルツカヤを好きでいたくなるところなんだよなあ。
荒川の金メダルは嬉しかったが、スルツカヤの銅メダルは残念だった。そんな想いの中で見ていた表彰式。佐藤有香が大会直前で参加を辞退したクワンの言葉を引用していた。おおよそこんな感じ。

オリンピックは私の夢だった。夢を実現することができるのがスポーツ。だけど、夢が叶わないことがあるのもスポーツ。今回は私の夢は叶わなかった。

そうなのだ。表彰式の台に立つ三人だけでなく、オリンピックという舞台に立つこと、それができること、その道程の遠さ。そうした全てを乗り越えて、更にその上の表彰台にたった三人の姿を見ていたら自然と涙が出た。