デザインとインターフェース

ひろえさんのこのエントリを読んだり、MAQさんの記事を読んだりして思ったことだが、「デザイン」という言葉を「インターフェース」という機能と結び付けていない人は意外に多いよなあ。
ひろえさんの例でいえば、ここで指摘されている「わかりにくさ」は、インターフェースとしてのデザインが不足しているということである。MAQさんの例でいえば、デザインが単独のものとして先行してしまい、インターフェースとしての機能を失っているということになるだろうか(MAQさんの話はそこが注目点ではないのだが)。
「デザイン」は単なる見栄えではない。その見栄えには意味があり、意味がないデザインは本質的に単なる形骸であり、役に立たない。もちろん、見栄えである「美しさ」がインターフェースとしての役割を果たすこともあるが、偏重が過ぎれば意味を成さないものとなる。
逆に機能を重視する人が「デザインなんて関係ない」ということを口にすることも良くある。技術系の仕事だと特にありがちだ。しかし、これもまた当然間違いである。どんなに素晴らしい機能を持っていてもインターフェースとなるデザインがなっていなければ使い勝手は悪いし、そもそも使ってもらえないことだってある。この辺の感覚は「料理の盛り付け」に近いものがあるかもしれない。
そもそもインターフェースというものに注目するということ、それは単なる機能美とも異なるのだが、そのこと自体があまり重要視されていないと感じることもよくある。
インターフェースの違いがどれほどの結果を生むのか。それはMS-DOSからWindowsへと変化した時に起こった現象を例に挙げるまでもない。機能は決してモノの「内」にあるだけではない。「外」にもあるのだ。そしてデザインは決して「外見」なのではなく、「内実」でもあるのだ。
なんて偉そうなことを書いているが、自分のサイトが決してそれを満たしていないことは重々承知。だからこそ、の部分でもある。