『安楽椅子探偵 ON AIR 解決編』

直接的な言及は避けてますが、まだ見てない人もいると思うので「続きを読む」にしておきます。
そうきたか。事前にその説を聞かされていなかったら確かにビックリした。フェア、アンフェアの論議は出るだろうが、個人的には「やられた」という感じ。周りに解答を導き出した人もいるので自分の浅慮さを嘆くしかあるまい。
とはいえ、解答とは直接関係ない二つの点で残念に感じてしまった。いや、正確にいえば残念というよりも、ミステリ作家として、また「ミステリの第一人者」という冠を背負ったものとしてのモラルと責任という部分に対しての綾辻行人有栖川有栖両者がどこまで意識しているのかという不安だ。
ひとつは問題編を見て推理をした時から気になっていたのだが、結果的にこの推理を構築する中で綾辻、有栖川は「飲酒運転」をいう法律違反を問題視することなく解決ルートに入れた。つまらないことだが、これは非常に気になる。m氏打て李としてのルール云々ではなく、ミステリ作家として、そして一般の読者(視聴者)への挑戦に対し、「法律違反」というルールを犯すことを求めたわけだ。それはどうなのか。そんな細かいこと気にするなよ、という人が大半だとは思うのだが、作者側の用意した推理(謎解き)ではなく、読者の推理に法律違反という部分を投げてしまうのは個人的にはモラルを疑う。ミステリというジャンルはその論自体は呆れたものだとしても常に「人を殺す、人が死ぬということを簡単に扱う」と揶揄される危険性を常に孕んでいる。そうした矢面に立つ部分は別としても、法律違反を前提とした推理を読者(視聴者)に求めるというのは、そうした観点から見れば(しつこいようだがその論自体は殆どが指摘として正しくないものであるにしても)どこか釈然としない。
二つめは、これは完全に綾辻、有栖川が自覚的に行った「捜査圏外からの真犯人」という行為。これは確かに驚きをもたらす結果を生む。しかし、もし今回の場合、真犯人を含むその他の登場人物まで「圏内」だとしたら、真犯人に行きつく解答は山ほどあっただろう。現に私も「犯人を導き出す二つのポイント」はわかっていたし、その上で「圏内にいる容疑者は二つのポイントのどちらかをみたしていないが、どこかにきっと落とし穴があるはずだ」と思って推理をした。その着眼点自体が間違っているというのは面白いといえなくもないが、捜査圏外か圏内を決めるのは基本的には読者(視聴者)の側ではないはずだ。しかし今回、二人はあえて「圏外か圏内かを勝手に想像しなさんな」と通告したわけだ。これが何を生むのか。
それは「暗黙の了解」というルールの破綻だ。ミステリ読みなら誰もが経験的に「暗黙の了解」というものを体感的に理解している。その「暗黙の了解」というものをミステリの第一人者である二人自らが破壊した。故に、これ以降のミステリは「暗黙の了解」というルールを読者に押し付けることはできなくなる。極論でいえば「消去法」で選ばれた犯人は、名もない誰かが犯人でもOKということになりかねない。例えばよくある「外から強盗や泥棒が入ってきたというのはないだろう」という推理は、それ自体が論理的に否定されない限り崇高な推理とはならなくなるということだ。さらにそれが進めば「提示されたデータ」がおかしければ、読者はそれが推理と直接関係しなくても「前提となっているデータがおかしいから推理自体が成り立つはずもない」と考えることもできてしまう(この読み方自体が正しいかどうかは別だ)。
そして「暗黙の了解」を破棄すれば、自然と設定そのものをガチガチにすることが前提付けられ(なぜなら読者は「暗黙の了解」がないから全てのデータの提示を求める)、これまで以上に「本格」ミステリが凝り固まった形式の中でのみ成立する小説になってしまう可能性もある。
なんて考えは負け犬の遠吠えにしかならないのだろうな。ただ、私が期待したエレガントは「一見、容疑者の誰もが条件に当てはまらないように見えるが、実はこのポイントをこの視点から見た時、一人の人間は条件に当てはまる」というものだったし、本格ミステリの代表二人が「挑戦」と銘打つなら、それを期待しても間違いじゃないでしょうよ、と思ったのであった。確かに驚いたし、「やられた」とも思ったけど、それだけのことでした。