『OP.ローズダスト』福井晴敏 (上巻)【bk1】 (下巻)【bk1】

戦国自衛隊1549』は読んでないので、『6ステイン』以来、そして長編となると『終戦のローレライ』以来久し振りの福井晴敏。おまけに《ダイス》シリーズときたもんだから期待しないわけにはいかない。上下巻たっぷり1000ページ超。今回も一気に読ませてくれるか。
と、ワクワクしながら読み始めたのだが、今回は残念ながら「一気読み」感は少なかった。これまで福井晴敏の小説を物理的には長いと思っても、精神的には「長い」と感じたことはなかった*1のだが、これは長い、長いよ。
本作はいわば「コマ送り小説」である。
亡国のイージス』や『終戦のローレライ』といった作品は実際に映画化されたわけだが、どちらも「無理矢理二時間に詰め込んでる」感は否めなかった。つまり元々二時間では収まりきらないだけのストーリー展開があったわけで、テンポを詰めようがキャラクターを減らそうが「これ以上は無理」という部分がどうしてもあったし、それをしても二時間では収まりきらなかった。『終戦〜』ではまるまる上巻はぶっちぎっちまってるほどである。
しかし、本作はおそらく映画にすれば二時間強で収まるストーリーである。それがなぜ『亡国〜』や『終戦〜』に比肩するような長さになったのか。それが前述した「コマ送り」のためである。
福井晴敏の筆による本作の描写は精緻を極める。例えばあるビルが爆破される描写では、爆破の状況を事細かに語られる。それも爆弾ひとつひとつ、ビルのどの部分に爆弾が設置され、その爆弾がどの方向にどれくらいの勢いで爆発し、その影響でビルの鉄骨や壁がどうなったかなどを何ページにも渡って書き記すのだ。要するに、映画でいえばたった10秒ほどの爆破シーンが、コマ送りにされて1コマごと、それも画面の端から端まで描写されるのである。
それだけではなく、登場人物の内面描写もまた膨大だ。画面でいえば、登場人物が「ふっ」とため息を漏らすだけのそのシーンで状況描写同様何ページにもわたってその心境が語られる。それは時に記憶を辿る旅だったり、日本への、自らが所属する団体への憂いだったりする。
このように、本作では「語られてないことはない」というくらい、全ての状況、内面が書きこまれている。それは確かに映像とは異なる小説ならではの楽しみなのではあるが、あまりに大量の情報、それも「説明」は小説としてのテンポに対しては足枷になっている。
下巻に入り、最終章のクライマックスを迎えるにあたって物語りは怒涛の展開を見せ、読み手としては興に乗ってくるのだが、度重なる大量描写にそれを阻まれてしまう。この大量の書き込みがいい、という部分もあるにはあるのだが、勢いで読みたいシーンでは、もう少し筆を抑えて欲しかったと個人的には思う。
そういう意味では『亡国〜』や『終戦〜』にはやや劣ってしまうのだが、物語としては「生きる意味を見失っている青年と、過去と現在に疲れ果てた中年オヤジ」が互いに影響を与えて生まれ変わっていくという、いい意味でのワンパターン(福井節)を満喫できる。本作では敵側に対してもかなりの肩入れが見られ、サイドに回る脇役達も書き込まれている分、愛着が湧く。個人的には羽住が最高にカッコイイ。
ストーリーとしては『Twelve Y.O.』の雰囲気が一番近い気もするが、規模がとんでもなく拡大した上に、ダイス、警察、公安、自衛隊と絡んでくる機構が増え、それぞれの内幕まで書かれているのでかなり満腹。特に警察や公安の内部の描き方は横山秀夫を思わせるほど丁寧かつ文章の切れ味が上がっていて驚く。この辺りは『6ステイン』という短編でかなり鍛えられたのであろう。
確かに長いし(おまけに本が重い)、勢いはかつてほどないのだけれど、「福井節」を堪能するにはまったく問題がない、というかある意味では堪能しまくれる作品。「日本人論」に関しての押し付けがましさは多少流すとして、主義主張を織り交ぜながらもエンタテイメントする福井節を楽しんでいただきたい。
まあ個人的には主人公がもう少し魅力的というか、「空っぽ」だった方がよかったかなあ、とは思います。それが埋められていく姿が見たかった。

Op.ローズダスト(上)

Op.ローズダスト(上)

Op.ローズダスト(下)

Op.ローズダスト(下)

*1:終戦のローレライ』のエピローグだけは例外