『密室彼女』劇団・本谷有希子(アウェー)

原案:乙一、作・演出:本谷有希子、出演:加藤啓(拙者ムニエル)、吉本菜穂子杉山彦々
本谷有希子は初めて観た(厳密には劇団 本谷有希子を初めて観たわけで、本谷有希子自身は出演していないのでまだ見ていない)。まあ前から一度は観にいかにゃならんだろう、とは思っていたところに乙一とのコラボということで観に行ってみました。千秋楽だったのでもしかしたら乙一も会場にいたかもしれない。
四方をビルに囲まれた都会のデッドスペースに女が一人、自転車と共に落ちてきた。彼女は墜落のショックで記憶を失っている。そして、その場所には一人の男が住んでいた。都会の密室の中で二人の奇妙な出会いがあり、彼女の記憶が戻りつつある中でもうひとつの物語が語られる。
乙一らしさでいえば、「奇妙な男女の関係」と「設定の妙」、そして「体温の低さ」が感じられる内容で、まさしく「乙一だ」と感じる話ではある。男女のどちらもが「現実の世界に対する居辛さ」を抱えている点もそう。
そうした乙一テイストを本谷有希子がどう料理しているのか、というのは本谷有希子初見の私にはよくわからないが、観ている間「ああ。そうか。」という達観にも似た感覚を味わいながら観てしまっていた。
芝居の感想とは離れてしまうが、この芝居を観て私が勝手に感じたのは「本谷有希子という人はとても頭がいいのだろうな」ということだ。彼女はおそらく、芝居を観た人間の感想に対してまで答えが準備されているタイプだ。観ながら考える、笑う、もしかしたら泣く、そういった観客の行為に対してまで解釈を与えられる人なのではないだろうか。
その意味では「体温の低さ」という部分を如実に感じ、演出意図としての成功はあったと思うのだが、同時に自分のような古い感覚の人間にとっては、「これが現代の、今の「受ける」芝居なのか」ということを客観的に見つめることになってしまった。目の前で芝居が展開している、役者が演じているのに、とても距離が遠い。しかし、本谷有希子が話題になり、それを観にこれだけの観客がきているということはこうした芝居スタイルが今の社会にマッチしているということなのだろう。
ストーリーや芝居展開、演出も含めて「面白くない」と感じたわけでは一切なく、むしろ色々と観るべき点はあったのだが、それ以上に私という観客を入り込ませない空気感を感じ、そうした「低い体温」の状態で芝居を観てしまうと、目前の芝居よりもそれを作り出している人間に対しての感覚の方が強くなる。
もっと入り込んで観ていれば気にならなかったのかもしれないいくつかのこと。その中でも「逃げのある笑い」に関してだけがどうもしっくりこず、肯定的にいえば芝居(というかストーリー展開)に見合ったギャグが、「笑えなくてもいいんですよ」というエクスキューズ入りの笑いにしか見えず、またそれを観て笑っている観客の姿も含めて急速に冷めていく自分を感じてしまった。
「体温の低さ」というのは「熱のなさ」と同列で語られるものなのかもしれないが、それをそれとして眼前で展開されても個人的にはピンと来ない。しかしこれが今という時代の映し鏡としてある風景なのかもしれない。彼ら(この「彼ら」が誰を対象にしているのかは自分でもわからないが)にとっては「切実さ」ですら、生温いものに過ぎないのだな。そんなことを考えてしまった。少なくとも私にとっては。
乙一の原案としてのストーリーは、確かに彼らしさを感じはしたものの、「芝居」という空間での新たな乙一を見た、という感じはなかった。それでもまあ、乙一の「らしさ」を求めて来た観客にとっては「いかにも」でよかったのかもしれない。しかし、こちらもまた「オチ」を「巧さ」で躱したように見えてしまったのが残念だ。あまりにもスラリとしたクールビューティー。そんな感じの芝居でした。