昨日の日記はいくらなんでも長すぎるだろう >自分。
なんかこう、色々と話をした翌日とかにそのことを思い返してみると、35歳にもなって青臭いことを延々と語っている自分というのは「キモイオヤジ」以外の何者でもないのではないだろうかという不安に苛まれて気が狂いそうになり思わず清水の舞台から飛び降りたくなる(誤用)。
そうはいってもしかし、大人のフリしてわかったような口をきく人間になれるのかといわれれば、それはまあ役割として出来ないわけじゃないんだけど、それを演じることにどれほどの意味があるのか、そもそも演じるためにわざわざ人と交流することに意味があるのかと考えると悩ましい。いや、そうすることで尊敬が集められる、とかであれば意味があるのかもしれんけど、自分が欲しいのは「親しみ」であって「尊敬」ではないんだよね。
でもだがしかし、自分が「親しみ」と思っているものが若い人たち(だけじゃないのか)から見たら単なる「このオヤジ何言っちゃってんのキモイ」になってたらどうしよう。ああもうオレのバカバカバカ!ジャブジャブストレート!みたいな気分になることもしばしばです。
大体において自分語りでモジモジしている35歳ってのがキモイかもしれん。いやキモイだろう。なんちゅうか35年間生きてきて、そろそろ色んなものに見切りつけたり、諦めたり、ある程度はわかったような気になって、迷いとか不安とかから少しは解放されてみろや、と思わんでもない。熱い温泉に入る時みたいに、一歩踏み出す時にそろそろと足をお湯に突っ込むのはどうなのかと。いちいち周りの目を気にしながらオドオドするのはどうなのかと。しかもそれを「どうしたらええんかのう」と吐露しちまうのはどうなのかと。
年齢っつーものをあんまり自分自身では意識したくはないんだけど、周囲からの目も気になってしまう小心者としては、そろそろ自覚的に自分を見せていくことが必要な時期に思えてくる(つか遅いよね)。さすがに一回り下の年代と面と向かった時には、そんな危機感を覚えてしまう自分がいる。ああ、無情。
そりゃ歌いたくもなるわさ。