『あしたのジョーの方程式』島本和彦/ササキバラ・ゴウ 【bk1】

炎の料理人ならぬ、炎のマンガ家・島本和彦とマンガ編集者・ササキバラ・ゴウが『あしたのジョー』について余すところなく愛を語り合った対談集。
まず、内容について述べる前に一点。対談集なので、インタビュアーとインタビュイーで書体を変えるのは当然としても、まずはじめにどちらが島本和彦でどちらがササキバラ・ゴウなのかは判別できるようにしておくべきだと思うぞ。メインが島本和彦だから多分こっちだろう、というのは想像できるがハッキリしないまま読み進めるのは心地悪かった。
で、内容だが、最初に書いたように二人(特に島本和彦)の『あしたのジョー』への愛情を出発点に、『あしたのジョー』に隠されたいくつかの秘密や疑問について二人が二人なりの解釈をしていく、というもの。「『あしたのジョー』に関するものはなんでも欲しい」とのたまう島本和彦(ゲームソフト『あしたのジョー』のだけのためにNEOGEOを買ったらしい)が、ある日車の中で『あしたのジョー』のサウンドトラックを聴いていて積年の疑問が晴れたことにより、今回の対談に至ったらしい。
まあ、その疑問というのは大きく分けて二つあり、ひとつは「ジョーにとっての「あした」とはいったいなんなのか?」ということと、「なぜジョーは力石、カーロス、ホセの三人には勝てないままマンガが終わったのか」ということ。一つ目は別として、二つ目の疑問は普通のスポーツマンがであれば「ライバルに勝つ」ということはストーリー上の必然であるのに、ジョーはライバルには勝っていないのはなぜなのか、という至極最もな疑問である。
これらの解釈については本書に譲るとして、単純に考えれば、「勝てなかった」からこそ『あしたのジョー』がマンガ史上に残る傑作となったことは疑いがないだろう。だからといって「ライバルに勝てない」という設定だけで、そこに上り詰めたわけではないこともまた確かだ。
そしてこの「勝てなかった」ことこそが「ジョーにとってのあした」に明確に繋がっている。その辺りを実際のマンガの描写や展開を踏まえて説明していく部分はある意味でミステリの謎解きに近い面白さがある。まあ、強引な部分もあるけど(笑。
ただ、ラストの解釈については個人的に異論、というかそうは考えたくないという心理的に納得できない部分がある。やはりあのラストシーンは、あの最後の試合だけにかかったものではなく『あしたのジョー』という物語にかかっていて欲しいし、今でも自分はそう思っている。反論理由も一応あるが、長くなるのでここでは述べないし、それこそひとりひとりが自分なりの解釈をして欲しいものだ。とまれ、私にとってはあのラストシーンは『あしたのジョー』という物語の全てを象徴し、集約したシーンなのである。でなけりゃ、二年位前にあのシーンのリトグラフが売り出された時にサラ金行くかどうかであんなに真剣に悩まなかったよ。
とにかく『あしたのジョー』に思い入れがある人は読んで面白いのは当たり雨。さらに島本和彦の熱い語り口が『あしたのジョー』にそんなに思い入れのない人にとっても面白く読めると思う。マンガを深く読み解く面白さを実践した本としても貴重なので、大人のマンガ読みは読んでみて欲しい。
ただまあ、ここまで真剣に読み解けるマンガっていうのが今はそんなにないよなあ、とも思う。ちばてつや高森朝雄梶原一騎)という強烈な二つの個性のぶつかりあい、そして互いが互いのアイデアを想像し、拡張していった結果の名作なのだとも思う。一人のマンガ家の単なる迷走とは違う、コラボレーション故の謎と疑問。だからこそ面白い。

あしたのジョーの方程式

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