『数学的にありえない』アダム・ファウアー (上)【bk1】 (下)【bk1】

この作品を読んで思わず連想した映画があるのだが、それを書くと(どちらにとっても)ネタバレになってしまうからここでは書きません。でもまあネタとしては古くからあるものだし、珍しいものでもないんだけどね。
主人公のデヴィッド・ケインはどんな計算も暗算できるだけの頭脳を持ちながらも、ポーカーによって身を持ち崩している。その計算力であらゆる確率を計算し、臨んだポーカーの勝負で「数学的にありえない」敗北を喫したケインは、同時に癲癇の発作に襲われ病院に担ぎ込まれる。そして再び目を覚ました時、彼はある能力を手にしてしまう。
ジェットコースター・サスペンス、という惹句が本書には付いて回るが、個人的にはむしろ「ドミノ倒し小説」とでも呼びたい。それも一列のドミノを倒すのではなく、様々な趣向の凝らされたドミノを一気に倒し、それがまた思いも寄らぬ倒れ方で、次を倒していく、そんな感じ。
根本にあるテーマ、というよりも材料は昔からあるものだが、それを「ラプラスの魔」という数学的論理で補強したのが素晴らしい。そうすることで「シュレディンガーの猫」、「ハイゼンベルグ不確定性原理」といった更なる材料を生み出し、物語に厚み、というよりも「一流のハッタリ」を与えている。今まではSF的に使われてきたこの「能力」を、こうした材料を投入することで新たな味わいへと進化させた作者の力は素晴らしい。
下巻へと進むにしたがって、物語は一見ハリウッドアクションの様相を呈するのだが、根幹を為す「ラプラスの魔」がある限り、それが単なるアクションで終わっていないのがまたいい。いや、むしろそのアクションが「結果」として生み出される模様を見ているのが楽しいのだ。
個人的には前述したような数学的、物理学的言語も含め、確率論など、もっともっと薀蓄を交えて進めてほしかったと思うところだが、これ以上に過剰だと「難しい」と感じる読者もいるのかもしれない。私のようなバカにとっては読んでるだけで頭がよくなったような気がするのでそういう薀蓄は大歓迎なのだが。
クライマックスの準備としてケインが描いた計画の合理性がよくわからない、という点さえ除けば(もっと他に方法があったんじゃないだろうか)、とにかく面白さだけは保証できる作品。厚いようで薄い本、しかし薄い内容のようで満足度は厚い本、とでもいえばいいだろうか。こういう作品がもっと読みたい、と素直に思います。
この作品、ハリウッドで映画化される臭いがプンプンしてますが、小説ならではの面白さがしっかりと楽しめるのも好感度大。まあ、映画化しても面白そうではあるんですがね。

数学的にありえない 上

数学的にありえない 上

数学的にありえない 下

数学的にありえない 下