まあ、とりあえず一言。JASRACは即刻なくなったほうがいい。この記事の酷さには眩暈がした。協会担当者の言葉はわけがわからん。
一方では松本零士がこんな発言をしている。正直いって最近の松本零士の発言は老害というか、ぶっちゃけはじまったのかな、と思わざるをえないのだが、メディアがそれを新聞テレビで取り上げているということを考えると、論調自体は「あり」だと思っている節がある。
著作権」という言葉を語るときに、語る人間が「著作権」について無知すぎる、という意見は以前からよく言われてることで、もちろん私もキチンと勉強したわけではないので同じ穴のムジナなんだけど、それでもちょっとおかしいんじゃないの?、と思ってしまう。
そもそも、「著作物」を守る、という意味での著作権保護と「著作権利料」がイコールで結びついているかのような考え方が理解できない。著作物の改変や盗用はよくない、というのは理解できる。その意味での著作権保護は50年でも70年でも、むしろ未来永劫守ればよい。
だが、それがなぜ、「金をよこせ」に繋がるのかがわからない。しかも著作者本人ではなく、子孫の利益のために残して欲しい、という理由が皆目理解できない。子孫関係ないやん。
こういう議論になるとよく出てくるのが「作家などはプライベートな手紙や日記なども著作物として扱われることが多く、家族にまで影響がある可能性があり、それらを保護するため」的な論調。これがまた意味がわからない。プライベートを犯されるのが嫌なら、家族がまず著作者を止めなさい。「家族を巻き込むな」といいなさい。いや、むしろ「生前の日記や手紙です」とかいって親族が公開したりするのもおかしいでしょ。なぜ著作権利者の親族だけが特別扱いされるのかがまったく理解できない。そんなことよりも犯罪者の家族の権利とかプライベートよっぽど守ったれよ。
なんちゅうか、著作権が単なる権利ビジネス化しているだけのような気がして悲しくなってくる。そうやって守った結果が、GLAYのように自分達で作った歌すら歌えない、という結果になっているのはどう考えてもおかしいと思う。
ああ、なんて美しい国なんだろう。