なんか色々と思うところがあったのでつらつらと書いてみる。
松岡農水大臣の自殺が波紋を呼んでいるが、渦中の人物だっただけに、その死については様々な憶測がなされており、その憶測の元凶は本人が疑惑を残したまま死んでしまったことにあるわけだ。確かに「死人に口なし」とはよくいったもので、それらの憶測、下手をすれば妄想めいた陰謀論に対しても死者は反論をしないし、かといってそれが真実だとも語らない。
ただ、理解できないのがそうした憶測をすること、特に疑惑に対して言及するということに対して、「死者への冒涜である」とか「故人への敬意がない」とかいう意識を持つ人がいることだ。
キリスト教圏だったら自殺は大罪だ。葬式すらしてもらえない。非難されこそすれ、庇ってもらおうなんてありえない考えである。しかし、日本ではこれがありえる不思議。まあ、でもここは日本だからキリスト教の話はひとまず置いておこう。
日本の場合は仏教だからというよりも、武家社会という歴史制度がこの思想を可能にしている。つまりは「ハラキリ」だな。ただ、そもそも切腹ってのは自分がしたくてするもんじゃないんだよな。あくまでも「主人の命」に従ってするわけだよ。切腹が自分の名誉を守ることに直結するわけではなく、主従の関係を貫いたこと、それが名誉に繋がるわけだ。辛いことがあったから、食っていく金にも困ったから、という理由で切腹しても誰も同情しないし、当然名誉なんて残らない。そこに美徳なんてなにもない。いやまあ、そもそも切腹に、というか武家社会に美徳なんてない、っつーのは小林正樹監督の『切腹』を見ればわかるこった。
ただまあ、そもそも私はこの美徳自体に疑問を持っているわけで、ハッキリいってしまえば自殺だろうが不慮の事故だろうが、逆に殺されたんだろうが、一律で「死者に敬意を払え」といわれても納得なんかできない。人間は死んだからといって過去を捨てることはできないし、死後に仏になろうが天国行こうが知ったこっちゃないし、そういう宗教を否定もしないが、生前にしたことがそれでチャラになるわけじゃないと思うんだが。
というか、その「死んだら許される」という思考自体が、こういう結果を引き起こす、という考えに至っていないことが不思議であり、恐ろしくもある。いや、わかってて言ってるんなら「自殺礼賛者」ってことなんだろうけど。
と、こんなことを考えて、というよりもなんとなく思っていただけなのだが、わざわざ日記に書くまでに至ったのは、伊吹文部大臣の「つらかったと思う」という発言を聞いたからである。
ちょっと待て、アンタ去年「いじめによる自殺」に対してどう答えたのよ。「文部科学大臣からのお願い」とか発表してたじゃないよ。なのに国民の代表のひとりである大臣が自殺したというのに「つらかったと思う」って。つらかったら自殺してもいいのかよ。アンタはそれを否定しなければいけない立場じゃないのかい。
今回の一連の騒動を見ていると、「自殺すれば許されるし、つらいことも終わる」、そういう空気が確かに存在するような気がしてイヤーな感じになってしまったのだった。
これまでにも何度か書いてきたが、個人的には自殺を否定はしない。まったくしない。死にたい人は死ねばいい。だからといって死ねば許されるとか、死んだら全てがチャラになるとかいうのは甘えた考えだ。死んでも非難はされるし、自分の末来は消せても過去は消せない。むしろ、死んだらそうした非難に対して反論もできないし、謝罪もできない。見返すことだってできない。そういうもんじゃないのかと思うんだけど。
ちなみに前述した小林正樹監督の『切腹』はもうホントマジで名作だから見たほうがいい。脚本が橋本忍で、音楽が武満徹。出演陣が仲代達也に岩下志麻丹波哲郎三國連太郎という豪華メンバー。暗くて描写がキツイ場面もありますが、絶対に見て損はない。
最近では山田洋次が『たそがれ清兵衛』や『武士の一分』といった、これまで描かれてきた武士という存在、武家社会の在り方といった一般的なイメージを覆す映画を撮ってますが、『切腹』ではそれが既に描かれてます。まあ、黒澤の『七人の侍』もそうした皮肉を描いているわけだけどね。

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