『ミスターレッズ 福田正博』戸塚啓(ネコ・パブリッシング) 

shaka2003-06-19

ISBN:4777050017
私が福田正博を知ったのは、まだJリーグという狂騒が始まる前、1991年のことだった。おそらくはテレビで中継していた天皇杯の一試合だったと思うが、ハッキリとした記憶はない。それでも、この時に見た彼のプレーを忘れることは出来ない。まさしくディフェンスを「切り裂く」ドリブル。その一瞬のスピード。それは私が日本でまだ見たことない衝撃的なプレーだった。「こんな選手が日本にもいるのか」。私は一目で彼のプレーに惚れてしまい、それまで名前程度しか知らなかった「三菱」というチームを、そして福田正博という選手を応援することに決めた。

あれから早12年。「ミスターレッズ」として浦和レッズを率いてきた福田正博は、遂に赤のユニフォームを脱いだ。Jリーグでの3期連続最下位。日本人初の得点王。度重なる怪我。屈辱のJ2落ち。そして日本代表として体験したドーハの悲劇。様々な思い出がプレイバックする。しかし、レッズがリーグ戦でもカップ戦でも一度も優勝することがなかったように、福田正博のサッカー人生は良いことよりも辛いこと、悲しいことの方が圧倒的に多いように思う。それが福田正博を、他のスーパープレーヤーとは違う、唯一の選手としてここまで記憶に残る選手にしたのもまた事実であり、悲しい現実である。だが決して彼は「悲劇のヒーロー」ではない。「悲劇をバネにしたヒーロー」である。だからこそ、私たちは彼に思いを託してきたのだ。

本書は、「ミスターレッズ」と呼ばれ、浦和レッズファンに最も愛された男、福田正博のサッカー人生を彼自身の言葉と、彼とプレーを共にした、または近くで彼を見ていた人達の言葉から綴ったドキュメントである。この250頁余の本の中でも、半分以上は決して良いとはいえない事実が占めている。それは時に皮肉すぎるほどだ。中学、高校を通じて日本一どころか全国大会にも縁がない、大学に入っても優勝どころか2部落ちしないのがやっとというサッカー人生。やっと拾われた三菱でも、いきなりの2部落ち。とことんまで栄光とは縁がない。彼ほどチームに恵まれなかった選手もそうはいないだろう。そしてそれゆえ、常にチームの大黒柱の任を負わねばならない運命。気付けば、浦和レッズは彼のチームであり、監督は、ファンはレッズの命運を10年の間ずっと、彼に託し続けた。それが彼にとってどれほどの重さだったのかは計り知れない。漸く見つけたバトンを渡せる相手、小野伸二は、オランダへと旅だってゆき、彼はまた一人になった。そして、唯一無二の存在として浦和レッズの象徴であり続けたのである。

彼は、日本サッカーのどんなスパースターとも違う存在だ。釜本邦茂反町康治、木村和史、ラモス瑠偉三浦知良中山雅史中田英寿、彼らはある意味でスーパースターの王道を歩んできたものたちである。しかし福田正博は違う。日本代表ではあったが、本来のポジションが彼に与えられることはなかった。優勝どころか、常に最下位争いをしているようなチームの選手だった。唯一の栄光は日本人初の得点王だったが、それも「PKで獲った」とか「バインがいなければ獲れなかった」などと揶揄された。
それでも言えるのは、彼ほど思い入れを持って愛されたJリーガーは他にいないということだ。カズやゴンは誰もが知っている。ヒデやシンジは海外でも知られている。しかし、福田正博ほど愛された選手は他にいないだろう。

この本の著者、戸塚啓はあとがきで「自分にはこの本を書く資格はないのかもしれない」と語っている。それは彼が浦和レッズの試合を熱心に見続けたわけではないからだという。しかし、おそらくはそれが良かったのだと思う。作者の勝手な、必要以上の思い入れがここにはない。だからこそ読者はそれぞれの福田正博への想いを、この本を読んで再確認できる。

引退会見の、彼の、福田の言葉一つ一つに涙が止まらない。決して浦和レッズというチームは、福田にとっていいチームではなかった。しかし、皮肉にもそうだったからこそ、浦和レッズは、サポーターは、福田正博を必要とした。そして、福田正博浦和レッズは離れられない運命共同体になったのだ。

ミスターレッズ 福田正博』とは、なんとそのものズバリのタイトルだろうか。しかし、この名をもって冠することが出来るのは彼以外にいないのである。選手として長い間本当にご苦労様でした。これからは解説者として、指導者として頑張ってください。そしていつか、浦和レッズの監督して活躍する日が来るのを祈りつつ待っています。その時までレッズの初優勝はお預けでも我慢します。ええ、我慢しますとも。