正しい使い方

matsuoさんにはいらぬ心配をかけたようだが(まあ正直matsuoさんの見た時も思わないわけではなかったけど、ネタに対してネタを使って発表するのはアリだろう)、まあ昨日の苦言めいた言葉は高橋メソッドに限ったことではないし、具体的な一例だけに向けたものではない。はじまりは実際、高橋メソッドの無用な広がりぶりによって感じたことなのだが、実際は高橋メソッドのみならず、ツールや手段の形骸化(大袈裟にいえば無用化)というのは様々な場所で行われていると思ってしまったわけだ。
広い意味では本(小説なのかそれ以外なのか)や映画やテレビやラジオといったメディアすらもツールなわけで、それを自覚的に利用しているかどうかと考えてしまうとどうにも違うような気がするんだなあ。PCやPC上で動くソフトなんかはもっとわかりやすい部分で、本来の目的で使われているかどうか、という点から考えだすとどうにも違うんじゃないかと思うことが多々ある。目的から離れた使い方をしても、現実にはうまくいくことも多々あるわけですが、いざ問題が起こってみたり、「これができないなんて」という無茶な要望を聞いてると、「だからそれは本来そう使うものじゃないんだって」と思ってしまう。
これを突き詰めて考え出すと、マクロな意味では小説技法とかにも関わる話で、まあ私にとって端的なのは「それは【ミステリ】という枠組みを使うことに意味があるのか?」とかになる。考え出すとキリがなくなってくる。
まあ、最終的には自戒も込めてツールは正しく使いたいもんだよね。そのツールを使うことを目的としたり、使うことに自己満足したくないよね、ってことなんだけど。