相変わらず特にまとまってもいないことをダラダラと書いておく。
私は知らなかったのだが、そもそもの発端は『トリックスターズ』というラノベを読んでランドル・ギャレットの『魔術師が多すぎる』を連想するかしないか、ということから始まったらしい。「必読書」だったり「元ネタ」だったりする様々な意見を読んでいて思ったこと。ちなみに私は『トリックスターズ』も『魔術師が多すぎる』も読んでません。
という書き出しで始めて、書いてみたら恐ろしく長くなった割に、どうでもいいことしか書いてなかったので、ごっそりボツ原稿。あえて短くまとめるとすれば(まとまるとは思えないが)、教養主義的な読書の仕方は確かに重要だし、面白いとは思うんだけど、「知らないということから得られる読書の楽しみ」っつーのもまた存在するよね、ってことかな。
そういう人達が「知ろう」としたときのために、色んな情報を先駆者達が残していくことは必要だと思うけど。ただ、それは世界地図みたいなもんであって、自分の居場所から「旅に出よう」という人にだけあればいいものであると思う。「広い世界を見なさい」と言われても「いや、自分は日本が好きなんで」っていう人もいるでしょう。中には「世界を見る前にもっと日本を知りたい」って人もいるでしょう。もっといっちゃえば、地図を見て「世界」を見た気分になっている人(私もそういうところあるなあ)もいるでしょう。ガイドが充実しちゃえばしちゃうほど、実際の世界を見る必要性が薄れちゃったりしてね。
新しいとか古いとか、そういうのも大切だけど、基本的には私は時系列よりも前述した様な「世界」という感覚の捉え方をしている。時系列でいえば、「発見された時期」って感じかな。作品や作者に対する敬意、ってことからすれば「古典」や「元ネタ」という存在は軽視してはいけないと思うけど、「読書」という行為を、一冊の「本」とそれに向き合う一人の「読者」という形で考えれば、その本が面白いのか、その本から得られる幸福指数はどれくらいなのか、ってのが重要なわけで。それが例え以前の本を「パクった」作品であってもその読者にとって面白ければ、それはそれでいいと思う。ただ、その個人の評価がジャンルとしての評価として認められないのは甘んじて受け容れるしかないかもしれないけど。逆に、ジャンルとして評価された作品が、一読者にとってそうでない場合もあるし。
おお、凄い。さっき書いてボツにした内容とまったく違う話の展開になっている。まとめたつもりが全然まとまってない。面倒になってきたのでこの辺で。ホントは読書マニアからスポーツマニアの話に広げて書いてみたかったんだけどねえ。スポーツマニアの世界ってのは、これがまた年寄りと若者の断絶は激しいんですよ。