『大いなる助走』筒井康隆(ISBN:4167181142)

昭和52年当時、既に文壇の問題児として知られていた筒井康隆が本格的に文壇に喧嘩を売ったことで知られる問題作。これが『別冊文藝春秋』で連載されていたってのも凄いけどな。
地方文芸の同人誌に会社の悪事を暴露した内部小説を掲載し、それが中央文壇の目に留まり直升賞候補となった市谷。しかし、小説のおかげで会社はクビになり、親からは勘当。この先、生きていくためにはなんとしても直升賞を獲るしかない。市谷は東京に赴き、直升賞世話人なる怪しい人物の指導の下、選考委員に金を貢ぎ、女を献上し、しまいには尻の穴まで差し出して受賞を狙う。
うひゃひゃ。筒井康隆は何度読んでも面白いなあ。1ページ目のパチンコ屋の店員の台詞からいきなり笑わせられる。この時期は筒井康隆の「異常文体」ともいえるその文体がキレまくっていた時期で、とにかく文章を追いかけてるだけでも面白い。
たあ、本作は上記のあらすじからもわかるように、筒井康隆が「私怨」と言い放った文壇に対するカリカチュアであり、その意味ではまったくのナンセンス小説ではなく、抱腹絶倒というよりも笑うに笑えない内容が結構含まれている。
とにかく出てくる作家たちや編集者たちに誰一人としてまともな人間はいない。中央で活躍している作家であろうと地方の名ばかりの作家たちも全てが個性溢れるという言葉ではなく異常といっていい人間たちばかりである。主人公の市谷は当初大企業のサラリーマンということで、次から次へと現れる変人たちに驚きを隠せないが、彼自身が文学に巻き込まれていく中で最も暴走した人物となっていく。直升賞発表後の市谷の行動はもはや無茶苦茶で、しかしこれこそが筒井康隆らしいともいえる。
この小説が昭和52年当時に連載されており、この時既に作中に「もはや地方同人の時代は終わった」と書かれているように、今となっては地方同人から中央にデビューする、というような流れは一般的とはいえない。中央でデビューしたいなら中央の新人賞を狙うのが常道である。とはいっても、同人自体は今でも根強く残っているし、それどころかネットやコミケ文学フリマのことを考えたら一時期よりも活況を呈しているのかもしれない。こうした中での中央文壇、職業作家に対する憧れのようなものは今でも変わらないだろう。
とにかく全般に渡って筒井康隆の自虐も含む、文壇、文学界への強烈なアイロニーが溢れ出している。序盤で地方作家を馬鹿にした編集者ががなりたてる長広舌(ここでのレトリックには爆笑必至)や、文壇バーにおける筒井康隆自身をモデルにしたと思われるSF作家の狂乱。選考委員たちの痴態など、エキセントリックではあるが、どこか真実味すら感じさせられてしまう。
今なら東野圭吾の『黒笑小説』の一編である【もうひとつの助走】(明らかに『大いなる助走』をもじっている)を思い出すところだが、これを長編で、様々な人間が交錯する中で描いているわけだからやはり筒井康隆は凄い。破天荒にも程がある。
どこを切っても笑える(シニカルにも)小説だが、やはり一番笑ったのは編集者・亥膝の長広舌と、SF作家の狂乱、そして直升賞選考におけるSF作家への偏見であろう。筒井康隆自身、第58回(『ベトナム観光会社』)、第59回(『アフリカの爆弾』)、第67回(『家族八景』)と三回直木賞の候補になっているが、いずれも落選している。実際、直木賞とSFは驚くほど縁がないので、この作中にあるように「わしの目の黒いうちは」といってSFに賞を与えようとしない選考委員がいたのかもしれない。そういえば広瀬正も三回候補になったが結局獲れなかった。
筒井康隆といえば、という作品ではないのだが、文壇の内情や創作者としての悲喜こもごもに興味がある人、筒井作品でもナンセンス系はあまり読んでない人、だからといって『バブリング創世記』を開いたら1ページで挫折した人などは、とりあえずわかりやすいストーリーだし、長編だからこれから手をつけてみるのもアリでは。10年、15年前では信じられないことに筒井康隆の著作も今では手に入り難い状況になっているから、とりあえず復刊されたばかりの本書だけでも読んでみて欲しい。