『12人の優しい日本人』(三谷幸喜)

作・演出:三谷幸喜、出演:浅野和之生瀬勝久、伊藤正之、筒井道隆石田ゆり子堀部圭亮温水洋一鈴木砂羽小日向文世堀内敬子江口洋介山寺宏一
どう頑張ってもチケットが取れなかった。周りでも取れた人間を聞いたことがない。それくらいのプラチナチケット。結局WOWOWの生中継で見れただけでも良しとしよう。
私はサンシャインボーイズの再々演(おそらく)を見ているはずなのだが、陪審員の配役的には全然記憶が違った。なんか見ながら散々嘘ついたのでここで謝っておく。この当時はそれぞれの俳優の印象とかまだ薄かったから憶えてないよ。そうか、相島一之だったか、言われてみれば確かに。
それはそれとして。この芝居は当然『12人の怒れる男』にインスパイアされた作品であり、日本にはない*1陪審員制度というテーマを扱った作品で、『12人の怒れる男』がそうであったように12人の人間たちの密室芝居である。本家が「有罪」とされた事件をヘンリー・フォンダ演じる陪審員が「Not Guilty!」と叫び続け、真実を追究していくというものだったのに対し、三谷版では、全員が集まって早々に全員に一致で「無罪」になるものの、生瀬勝久演じる陪審員2号が「有罪」と叫んで討論が始まる、というものになっています。
インスパイアされたとはいっても、それはそれ三谷幸喜ですから後の流れは彼らしいコメディとして話が進んでいきます。この流れと、伏線の散りばめられ方と回収、その辺りは見事としかいいようがない。それを豪華な俳優陣が演じるわけですから面白くないわけがない。そもそも密室劇でリアルタイム進行の芝居を作るだけでも大変なのに、それをここまでやりきった三谷幸喜と役者陣は喝采されてしかるべきでしょう。
ただ、私がサンシャインボーイズ版を見た後にも感じた違和感はやはり今回も残ったままでした。とはいえ、その違和感はあくまでも「自分自身が書くなら」という前提に従ったものであって、脚本として否定的な意味を持つものではありません。
この芝居で焦点となるのは当然、被告は「有罪」か「無罪か」という部分になります。『古畑任三郎』でもおわかりのように、ミステリ、というか謎解きとどんでん返しに手腕を発揮する三谷幸喜はこの芝居でも事件を二転三転させて、思いも寄らぬところに着地させてしまいます。それ自体は見事なのですが、その落ち着く先の結果に私は不満を憶える。陪審員制度というものが「人が人を裁く」という制度であり、その中に内包する矛盾や不合理を避けられずにいられないものであることはこの芝居の中でも語られる。しかし、この芝居の結論ではその部分が吹っ飛んでしまうのです。それが非常に残念でならない。
さらにいえば、12人の陪審員たちは見事に書き分けられ、それぞれにキャラも立っており、途中途中で様々な対立構造を見せていて、その描き方は見事というほかないにも拘らず、最後の最後では同じような立ち位置で去っていってしまいます。まあ、生瀬は別だけど。芝居としてのカタルシスはこちらの方が上ですが、個人的には嫌なやつは嫌なやつ、ダメなやつはダメなやつとして終わらす方法もアリだったのではないか、むしろそちらの方が「陪審員制度」というものに一石を投じる意味では強かったのではないかと思うのです。ちなみにこの部分は本家に対しても同様な感想を持ってしまいました。
とまあ、ごちゃごちゃ書きましたが、これはあくまでも「私なら」という前提の話であり、芝居としての不満ではありません。カタルシスという点でも、爽快感という点でもこっちの方が上だしね。
役者陣も素晴らしかった。生瀬勝久は言うまでもなく、誰一人として劣っているなあ、と感じる人はいなかった。全員に言及しててもきりがないのでその中でもよかったのは、小日向文世の役作りの巧さ、そして堀内敬子(これをみるまで知らなかった女優さん)の演じ方ですね。本当に全員素晴らしかったけど、特にこの二人が印象に残りました。でもきっと、見た人の数だけ印象に残った人も違うと思います。それくらい皆素晴らしかった。
正直、三谷幸喜に対しては爆笑問題の太田ほどではないにしろ(しかもレベルが違うし)微妙な気持ちがあって、いろんな意味で正当には評価しにくい、というかしたくない気持ちが勝る。だからこの芝居も手放しでは誉めたくないんですが、それがぐらつくほどの熱演でした。テレビで芝居を生中継で見たのは初めてですが、そのせいもあったのかもしれません。役者、スタッフ、テレビクルー、揃っていい仕事してましたよ。でもやっぱり劇場で見たかった。

*1:過去に一度採用されたことがあるがすぐに撤廃された