『カラフルメリィでオハヨ 〜いつもの軽い致命傷の朝〜』ナイロン100℃

作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ、出演:みのすけ犬山イヌコ三宅弘城大倉孝二峯村リエ、廣川三憲、村岡希美、安澤千草、喜安浩平植木夏十、眼鏡太郎、廻飛雄、馬渕英俚可三上市朗小松和重市川しんぺー山崎一
ケラが病床の父親を思い書いたという「私戯曲」として9年前に初演され、この度再演。ナイロン100℃の中でもかなりテイストが違い、みやすいとの評判もあるこの公演はナイロンをあまり好きではない私でも楽しめるかと思って見てみた。
とあるどこかの精神病院らしきものに入院させられている少年・みのすけ。しかし、実際は彼は余命幾ばくもない老人で、幼児退行のせいなのか、自分を自分自身の孫だと思い、妄想と記憶の中で生きている。そんな彼の妄想と、彼の周りの家族の物語を並行世界で描いたドタバタコメディ。
まあ確かにいつものナイロン100℃に比べたら明るい笑いに満ちていたよ。エログロも抑えられていた。実際に劇場は笑いに包まれていたし、私もある部分では大いに笑った。
だけどこれはやっぱりナイロンでありケラなのだ。確かに演出的には笑いを作り上げているけど、これを笑うことはひどく悲しいことだ。そして笑いの裏に挟まれた人間達の業の深さ。なにより精神病院に入院する彼らの衣服。その腕の部分の染みが心を抉る。あれは注射、または点滴をされてそのまま丁寧に血を拭き取らなかったおかげでできた染みだ。そんな細かい部分にさえ「人間の卑しさ」を提示したがるケラリーノ・サンドロヴィッチという男の妄念。彼が父親の最期に何を思ったのかが朧げながら見えた気さえする。
途中休憩を挟んで三時間の長尺。しかし、実際の物語は1時間程度だ。あとはひたすらコメディにも似た悲喜劇。特に妄想の部分などはどこでちょん切っても問題ないし、家族の物語にしたってそもそも必要ないエピソードや人の配置があったりする。それでも3時間に渡って見せたかったというのはなぜなのか。まあ、「ナイロンの芝居はいつも長いよ、それがデフォルト」という意見もあると思うのだが、もう少しなんとかならんかったのか、とは思うのだった。面白くはあったのだが、それでも長さと相俟って「それはどうなの」と思う笑いが混じってしまうのはどうにももったいない。周りは笑ってたけどさ(隣のススーイも笑ってたけど)。途中途中で冷めた視線に戻ってしまう瞬間があり、面白かっただけにそれがとても残念だった。いや、面白かったといっていいのかどうかというしこりは残るんだけどね。これを笑う人間もまた業が深いよなあ。
山崎一が素晴らしかった。この人の舞台の素晴らしさは重々承知しているよ。それでも素晴らしかった。みのすけはいつもどおりみのすけでそれはそれでよかったのだが、山崎一はこの作品の肝であるじいさんを最高の形で見せてくれたよ。痛々しさと微笑ましさとを伝えてくれたよ。
犬山イヌコのこういう役はもうなんつーの、ある意味で抱きしめたくなるね。そしていつもいつも苦悩する大倉孝二も素晴らしかった。苦悩の中でたまにホッとするような芝居や表情をする時の大倉孝二が好きだなあ。峯村リエとのコンビも良かった。この夫婦が楽しすぎる。三宅弘城がもっと見せ場があってもよかったかなあとは思うけど(まあ今回もぶらさがってたからいいのか)。
久々に三上市朗らしい三上市朗が見れたのも嬉しかった。自分が見た中では『ゴーストライター』以来の三上らしい芝居。こういう役の時はもう最高だ。馬渕英俚可になにかしようとする時の芝居なんかは超好き。馬渕英俚可も可愛かった。
小松和重はこんな嫌な役もできるのね。っていうかサモアリのイメージが頭にこびりついてるからこんなに芝居が巧いっていうことに毎回驚いてしまう。でもまあ悪魔やってる時のサモアリっぽさがまた笑えるのだよな。
そんなわけで一見、楽しく笑って役者陣の芝居を満喫したように見えて、心のどこかに澱のようになにかが溜まって少し息苦しくなる、そんな芝居だった。笑いの評価的には時々滅法寒くなりつつも個々の実力でカバーして笑わせてくれたという感じ。やっぱナイロン100℃は普通にゃ見れないわ。