ボスの決断

イタリアの優勝について考えていて、どうしてもマルチェロ・リッピという人物の采配、というよりもその決断に触れないわけにはいかず、そしてまた「監督」としてのその決断が、サッカーだけではなく、いわゆる「ボス」論として通じることなのではないかと思うのであった。
リッピは今回のワールドカップを戦うにあたって、かつてのイタリアの代名詞である「カテナチオ」を否定し、「攻撃的イタリア」を名言。イタリアではまずありえない3トップの起用を選択する。つまり、トニ、ジラルディーノデル・ピエロ(またはトッティ)という布陣である。
この布陣を敷くにあたって今度は、「トニとジラルディーノは共存できるのか?」という声が国内からあがる。それに対し彼は「共存できる」と断言。ちなみに4年前に同じように「デル・ピエロトッティは共存できるのか?」という命題に対し当時の監督であるトラパットーニが出した答えは「否」であった。
こうしてリッピのいう「攻撃的イタリア」はワールドカップという荒波に漕ぎ出した。だが、荒れ狂う波はリッピの羅針盤の針をグルグルと回す。確かに攻撃はいいが、その分ピンチも多く生み出した。ガットゥーゾカンナバーロブッフォンという白兵戦のプロたちがギリギリで砦を守ったものの、リッピの中で「攻撃的イタリア」という文字はこの時既に消え去っていた。
そしてまた、「攻撃的イタリア」の消滅は同時にトニ、ジラルディーノの共存も失わせる。リッピは並び立つ2トップ、という戦術を取らず。トニの1トップ、その後ろにデル・ピエロもしくはトッティという布陣を敷く。つまり当初、4-3-3だったはずの布陣は、4-4-1-1へと変化したのだ。「攻撃的イタリア」から、いつもの「守備的なイタリア」へ。その決断は早かった。
この細かい戦術についてはどうでもいいとして、私がリッピに対して凄いと感じるのは、「自らの発言をあっさりと撤回する」という潔さだ。確かにイタリアは元の「守備的イタリア」に戻った。だが、そのことが今回のイタリアを優勝に導いたわけだし、勝てば官軍がこの世界の掟である。しかもそんな中でリッピはドイツとの準決勝において「延長戦でケリをつける」とばかりにFWを四枚にした。「守備的に進める」と決めたにも関わらず、勝負どころではそんな決意を忘れたかのように振舞ったのである。決して「自分の言葉」に自分が縛り付けられるようなことはなかった。リッピは常に「目の前の状況における最善の判断」を下し続けたのである。
翻って、我らがジーコの場合はどうだろう。彼の中では間違いなく、「チームの核」は中村俊輔だった。その決意が、どんなに調子の上がらない中村俊輔であってもスタメンで使い続けるという結果に結びつく。それがどういう結末を招いたかはいうまでもない。中村俊輔だけではない。「海外組」という言葉や「黄金の中盤」という名詞、こういった言葉が彼を縛ったことは想像するに難くない。
思い出せば8年前もまた、かのフランスの地で岡田監督が「FWの軸は城」宣言をした。アルゼンチン戦、クロアチア戦とまったく活躍できなかった城。それでも岡田は城を使い続ける。だが、皮肉にも日本がワールドカップ初得点を決めたのは城がいなくなり、中山と呂比須が2トップになってからであった。私が今でも岡田監督の評価が低いのは、このことがずっと引っ掛かっているせいだ。自分の言葉を乗り越えられない人間は弱い。そういう気持ちが私のどこかにある。
ボスが曖昧かつ、ハッキリとしない意見の持ち主であることは確かに問題だ。下の者としては不安になるし、周囲だって色々言いたくもなる。だからこそ「自分の考えはこうだ」、「君たちのいうことは間違っている」。彼らは断言する。そうハッキリいってくれるボスは確かに頼りがいがある。ただしそれは、その方法が上手くいっている時だけだ。
船が傾き始めた時、もしくは進路を外れてしまった時にボスに必要とされるのは、「自らの決断を自らが覆すことだ」。それが絶対的なボスなら尚更のことだ。周囲はボスに気を遣ってハッキリとはいえないし、下の者は従うだけなのだから。
リッピにとっての最大の目標はワールドカップをイタリアに持ち帰ることであり、間違っても自らの正当性を示すことではない。どれだけ間違ったことをいっても、それをあっさりと撤回したとしても優勝さえすればいいのだ。そのためなら自分のプライドなど安いものなのだろう。
チームや国が目指した目標、求められた結果を見据えるのではなく、自らの保身や名声やプライドを大事に抱きかかえた者が何かを成し遂げることなどありえない。それはサッカーの監督でも会社の社長でも政治家でも同じことだ。見自分の発言に責任など持つ必要はない。結果が全てであって、我々が求めているのは「口約束」ではないのだから。