『ワイルドソウル』垣根涼介 (上)【bk1】 (下)【bk1】

『午前三時のルースター』で第17回サントリーミステリー大賞と読者賞をダブル受賞してデビューした垣根涼介の三作目。吉川英治文学賞日本推理作家協会賞大藪春彦賞のトリプル受賞という偉業を成し遂げた。
ここ数年、ブラジルをはじめとする戦後の南米への移民政策に対して裁判が起こったり、テレビや雑誌などでも当時のその実情を報道することが多くなり、移民政策について疎かった私のような人間にも、少しずつその内情を知る機会が増えてきた。しかし、そうした状況の中で知ることができるのは、あくまでも今も存命である移民の方々の姿であって、彼らの口から聞く苦労の言葉も、その当時の情況を明確には伝えることはない。戦後は自分にとっては遠い過去であり、なぜか「一攫千金」という昨今の投資詐欺に食いついてしまう愚かさにも似た言葉を想像してしまい、どこかで「他人事」として受け止めていたことは否定できない。
この『ワイルドソウル』は当然フィクションであるから、ここで描かれたブラジル移民達の姿が事実である、とは単純に考えない。だが、それを前提として読んだとしても、本作で描かれたブラジル移民達の悲惨な情況はあまりに残酷だ。貧困や病気といった想像される悲惨さだけでなく、「人間の尊厳」そのものを奪ってしまう過酷さ。ハッキリいってしまえば、このブラジル移民の苦しみ(という言葉ですら生ぬるい)を描いた部分だけでも上記の三賞に値すると思うし、読んだ価値があった。エンタテイメントという形を取りながら、あくまでもフィクションであるからこそ書ける、伝わってくるものだった。
物語はこのブラジル移民を発端に、苦汁を舐め続けた移民たちが、数十年を経て現在の外務省をはじめとする政府関係者に復讐を果たす、というものである。過去と現在、そしてブラジル移民たちと日本人の報道キャスターである貴子という異なった視点で展開し、それぞれにサスペンスを抱えて動いていくのでまったく飽きさせない。また単に政府(公)を批難するだけの話にもなっておらず、例えばもうひとつの公の代表として描かれる警察関係者に対しては、フラットな書き方をしている。その辺のバランス感覚と、単に作者の意見を押し付けるようなものになっていないところがエンタテイメントとして成立している要因だと思う。
とにかく、冒頭から語られるブラジル移民達の物語だけで、あっという間に惹きこまれてしまい、後は一気に読み通してしまうだけなのだが、もし不満があるとすれば、ブラジル移民のエピソードに対して現代のパートがやや弱い、ということだろうか。彼らの復讐計画は計算高く緻密でとてもスマートである。ただ、スマートであるがゆえにそこに血生臭さを感じることもできず、その分、アマゾンの息苦しいほどの熱ささえ感じられるブラジルのパートには敵わない。ある種のピカレスクロマンとしては素晴らしいが、個人的には現在のパートにももっと熱気があれば、と思わずにはいられない。
とはいえ、そこに落ち目の報道キャスターである貴子という存在を当てるなど、心憎いばかりの演出で、とにかく一切の休憩なし、ノンストップで語られる物語を楽しめる作品。トリプル受賞は伊達じゃないです。オススメ。

ワイルド・ソウル〈上〉 (幻冬舎文庫)

ワイルド・ソウル〈上〉 (幻冬舎文庫)

ワイルド・ソウル〈下〉 (幻冬舎文庫)

ワイルド・ソウル〈下〉 (幻冬舎文庫)