新入社員教育?

うーん、ITmediaこのコラムにはとても嫌な違和感を覚えるなあ。
これって要するに単なるパワハラじゃん。煙草の件については、これが煙草だからまだ世間体が保てているだけであって、風俗に行こう、とか無理やり酒飲ませるとかと本質的には変わらない。上司に対してまだろくにものも言えぬ新入社員に対して、その力関係で言うことを聞かせる。ただそれだけの話。それをさも「いいことをしている」かのように語られてもなあ。
私が喫煙者だから必要以上に気になるということもあるかもしれないけど、この上司だけでなく、こうした行為に拍手で応える女子社員とか、それを許す社風とか全てが気持ち悪い。
それでいて「喫煙を続けても怒らない」と断っているのがまたなんとも嫌だ。例えば「煙草はやめません」といった新人に対しても同じように「よく言った。自分の意思を曲げないのはいいことだぞ」とかいって、同じように女子社員が拍手するのであれば、教育といわれても納得できる。しかし、ここでは明らかに対応が違う。こうした行為を「儀式」とか呼んで神聖視させてるのもどうなのかと思う。
いや、個人的にはね、いわゆる縦社会で存在する「儀式」と呼ばれるような一連の体のいい(いいのか?)イジメを完全否定するつもりはないです。体育会系の「セッキョー」と呼ばれるシゴキとか、先輩には絶対服従とか、それこそ体罰に関してもどちらかといえば肯定的に考えているくらいだ。
ただそれは「慣習的」に存在を許されているものであって、もしかしたら経験則的には「将来に役立つ」ものとして存在しているのかもしれないけど、理不尽であることに変わりはない。「理不尽だが、そういうものだ」といわれるのならわかるのだが、さも自分が正しい、という言われ方をされるのはどうしても納得がいかない。というか、少なくともこのコラムでは、そういう点で納得させられるだけの内容になっていなかった。
もうひとつの「リセット」の話も個人的には最悪と感じた。確かにこういう上司はいるような気もするし、こうした行為によって新人が育つ、といった事実もあるだろう。それでもやはりイヤーな感じがするのは、「教育」という言葉が使われているからだ。しかも「教育が好き」とまでいっている。果たして、こうした行為が教育なのか?。確かに結果論からいえば教育なのかもしれないし、こうした行為が社会的に「教育」とされている風潮もあると思う。
ただ、一度は教育者を目指したものから言わせてもらえば、相手を罠に掛け、不快な思いをさせた上で権威に物をいわせて従わせる、という行為を「教育」と考えたくはない。それが軍国主義下の「教育」だというならまだしも。
いくら言っても理解してもらえない。事前に予告もしたし、指示もした、それでもできない。という段階を経てから強制的な態度、もしくは体罰、ということであれば理解する。普通に言ってもわからんやつにはそれしかないからだ。
しかし、このコラムでは単に「入社して一ヵ月半」としか書かれておらず、それまでに会社がどういう教育(それこそどんな教育なのよ)をしてきたのかもわからないし、その社員がそれらについて学んでいたのかどうかもわからない。
「教育」と称して、まず始めにすることが「権威を嵩にきた強制的な要求」なのだとしたら、そんな上司も会社もさっさと見切りをつけたいと思う。
じゃあお前ならどうするのよ、と聞かれたらそれはそれで困るのだが、「学生気分をリセットさせる」というのであれば、まずはそれを新入社員にそのテーマを振り、各々に考えさせると思う。その結果、「禁煙しました」とか「髪を切りました」とかいうのであればそれはそれでよし。中には「リセットしてないやん」というものも出てくるかもしれないから、それはそれでツッコんでおく。結果としてなにもしてない新入社員に対して、こちらからアプローチする、という段階を経るだろう。それでもいきなり強制、それも権威を嵩にきたものだけはなるべくしたくはないが。
自分で考えた結果、煙草をやめたのならば、その決意に対して拍手をするのもよいだろう。確かに喫煙は一般にはよくないこととされているし、非喫煙者から嫌われる可能性も高い。自主的に決めたのなら誉められてもいいだろう。
と、ここまで書いて違和感のポイントに気がついた。このコラムが気に入らないのは、新入社員教育をいつのまにか「喫煙はよくない」という論理に摩り替えていることと、「煙草と100円ライターを“自主的”に廃棄させる」と形容することで、あくまでも新入社員の自主性を重んじているかのように表現していることだ。
相変わらず長々と書いた割りにはつまらない結論だった。