『スパイダーマン3』(2007 アメリカ)

監督:サム・ライミ、出演:トビー・マグワイアキルスティン・ダンストジェームズ・フランコトーマス・ヘイデン・チャーチ
『少年ジャンプ』のテーマである「友情・努力・勝利」そのまんまの映画である。っていうか、あまりにも少年ジャンプしすぎててビックリした。サム・ライミは『ワンピース』読んでるね、間違いなく。サンドマンとの闘いはまんまアラバスタ編でしたよ。
そういう意味ではもう、かつてのジャンプにどっぷりとつかった私としてはたまらん映画でした。特に、クライマックスのあるシーンでは興奮しすぎてそれを抑えるのに身悶えたほどである。映画館であんなに興奮したのは『ロッキー4』以来じゃなかろうか <古すぎ。
ここからは考えて書くのが面倒なので、ネタバレ予防しておきます。
Webなどの批評を見ると「長い」とか「退屈」とかいう意見が結構多い。確かにまあハリー、サンドマン、ヴェノムと戦う相手が多くてアクションシーンが多くなるし、MJとの関係でも色々あるし、叔父さんの死がまたも話題になったりと要素が多くて長いかもしれんし、多くのプロットが詰め込まれているのでどのエピソードも一齧り程度で進んじゃうから退屈に感じる部分もあるかもしれない。
いや、でもね、ハッキリいっちゃうと、そうした全ての要素がね、私のアドレナリンが大放出されたスパイダーマン&ゴブリンのタッグに帰結するわけですよ。つまり、タッグで戦うためには敵も二人いるし、二人がタッグ組んだときのカタルシスを高めるためにピーターとハリーの確執は深ければ深いほどいい。そして、それらの要素を踏まえてスパイダーマンのピンチにゴブリンが駆けつけた時のあの興奮と感動。わかっちゃいたけど思わず拳を握ってガッツポーズしたい気持ちに駆られます。
あのシーンだけで私はこの映画の全てを許す。そしてあのシーンがあったことによって「3」は三作中最高傑作となったと思います。
ジャンプで育った私にとって、敵(それも確執が深ければ深いほどよい)が味方になったときの感動のカタルシスはとてつもなく大きい。MJを救いに行くためにピーターがハリーの元を訪れ、「ひとりじゃ無理だ。一緒に行ってくれ」と語りかけた時のゾクゾクした感覚は忘れようにも忘れられない。
スパイダーマン』という映画は、これまでのヒーロー映画と異なり、主人公がその力ゆえに苦悩することでつとに有名であり、さらにはその力をもてあましてしまうわけですが、「1」、「2」、そして「3」とその段階が見事に変化していきます。
「1」では、「大いなる力には責任が伴う」という叔父さんの言葉通り、ふとしたきっかけで「力」を手にしてしまったピーターが、いじめられっこだったがゆえに、その力をつまらないことに使うことに溺れてしまい、叔父の死という代償を払って「力に伴った責任」を負うことを誓います。
「2」では、その責任を果たすべくN.Y.の人々を助けることに奔走するピーターが、スパイダーマンとしての責務を果たしているにもかかわらず市民からは嫌われ、またピーター・パーカーという一個人としての自分をも認めてもらえないことに苦悩し、ヒーローとしてのプレッシャーに負けてしまいます。しかし、愛する叔母の言葉、N.Y.市民の助けを得、MJのピンチに再び立ち上がります。そして、MJにその正体が知られてしまうことで、「この世でたった一人、しかし最も愛する存在」に自分を認めてもらうことでヒーローとしてだけでなくピーター・パーカーというひとりの青年としても再生します。
普通だったら、ここまでで美しいヒーローとしての責務は全うされる。しかし、「3」ではなんと、ピーターはスパイダーマンとしての名声に溺れ、あろうことか本当の自分を認め、愛してくれているMJを裏切ってしまう。この展開は通常のヒーローものとしてはおそらくはありえない。事実、こうしたピーターの行動が最後まで引っ掛かってしまい、スッキリしない人も多くいるのではないかと思う。
そして、ピーターはMJを失い、親友を失い、復讐心に駆られてヴェノムに操られたことで自負心までも失ってしまう。
だが、再びMJのピンチに立ち上がることを決意し、ハリーはその気持ちに応えるのである。そして闘いが終わった時にサンドマンと対峙し、「君を許す」という言葉を告げるピーター。それはまさしく自分に向けた言葉でもある。つまり、「人は何度失敗してもやり直すことができる」というテーマの提示である。サンドマンは叔父殺しからの再生を図り、ピーターはスパイダーマンとしてではなく、ピーター・パーカーとしての自分を取り戻す。ハリーも、MJも同様に失敗をしては自らを奮い立たせ、再び立ち上がる。
だが、いくらやり直すことができても、失敗には代償が必要となる。それは叔父の死であり、親友の存在や恋人との別れであり、「3」でいえばハリーとの永遠の別れである。
こうして、『スパイダーマン』の物語構造を考えると、恐ろしいほどまでに忠実でベタなシナリオであり、新しさどころか古臭ささえ感じる。しかし、個人的にはその古めかしい物語構造と展開こそが、『スパイダーマン』の良さであり、それが最も発揮されたのが今回の「3」だったと個人的には思う。
勧善懲悪でもなく、ヒーロー(主人公)の再生でもなく、「友情・努力・勝利」。やはり、それに勝るものはなかった、ということだ。