『インシテミル』米澤穂信 【bk1】

いやー、私ってミステリが好きだったんだなあ、と今更ながら改めて確認いたしました。
ここ数年は「本格ミステリ」って冠されている本を殆ど読まなくなった。結果的に「本格ミステリ」と呼ばれるような本は読んでいたけど。まあどこぞの誰かの言葉を借りれば「本格マインド」というものを完全に失ってしまったと感じながらミステリの世界の端っこをウロチョロしているような本読みだったわけだ。
だがしかし、このミステリマインド全開、「本格ミステリ」というジャンルでしか語れないような『インシテミル』を読んでいる最中ワクワクドキドキしている自分を発見してしまったのである。自分にはもう本格ミステリ成分なんて必要ないと思っていたのに。いやはやまだまだですな。
そんなわけで本作は著者自身が、

過去八冊は、多かれ少なかれビルドゥングスロマンとミステリの割合を比で表すことができましたが、今回はミステリだけです。

と語っているように、まさしく100%濃縮還元ミステリ。ハッキリいってしまえばそういったミステリ成分を楽しめない人にとってはもう何も残らないような本。『今日の早川さん』でいえば岩波さんなら鼻で笑って「こんなのばかり読んでるからあなた達は…」と説教くらいそうな作品である。
しかし逆にミステリの血が少しでも流れている人間にとっては「ヤベ、ミステリってオモシロ!フヒヒ」とか言ってしまいそうな作品である。
クローズド・サークルで行われるデスゲーム。ノックスの十戒、凶器に関する薀蓄、ミッシング・リンク、タイムリミット、推理合戦。そうしたガジェットてんこもりな上に、米澤穂信らしく読みやすい。しかも現代のミステリファンが嫌いそうなゴシック趣味はまったくなし。それどころか、上記の設定がやや突飛な形で用意されている点などは極めてライトノベル的である(ラノベよく知らないけど)。
ただ、それだけでは単なる新本格のうちの一冊で終わってしまう。例えばページをめくって見取り図を見て、ミステリ的な知識が披露される段階で、多くの人は『十角館の殺人』を思い出すだろう。少なくとも私は思い出した。
しかし私がここで「遂にこういう作品が出てきたか」と感じたのは、米澤穂信がここで新機軸として従来は二次元、単純化すればチャート形式で描かれていた「ミステリマニア」という図式に、三次元、つまり「世代差」という軸を持ち込んだことである。
詳しく書くとネタバレになってしまうので濁して書くが、この「世代差」という軸が物語りだけでなく、作品自体にも大きく影響を与えており、それが本格ミステリ、それもかなりマニア向けの本格ミステリでありながらも、私のような世代の読者から、もっと若い世代の読者までもが楽しく読めるものにしていると思われる。どこぞでいわれていた「ミステリ教養主義」という要素を持っていても持っていなくても楽しめ、またそれを作中に取り込むことによって、ミスディレクションや物語の展開のキーにしているところなどは、さすが米澤穂信と素直に感じた。『ユリイカ』で米澤穂信が取り上げられた理由が初めて理解できたよ。
また、もうひとつ面白いのが、というよりもこれぞ米澤穂信、と感じさせるのは「(名)探偵」という役柄に対する感覚である。『愚者のエンドロール』に関するレビューでも書いたが、米澤穂信の描く名探偵像というのはかなり特殊である。名探偵らしき名探偵はこれまで登場したことがない。むしろ本来の名探偵の目的である、「謎を解く」という行為を遠ざけるような人物像ばかりだし、何より彼らは「謎を解く」ことに使命も責務も感じない。そして同時に「名探偵」であるという存在意義を持ち出さない。
本作でもそれが見事に現れている。ネタバレかもしれないので反転するが、笑ってしまうことに探偵役に相応しい雰囲気を持つ人間から先に死んでいくのである。そして最終的に探偵役を背負うことになる人物は、謎を解くどころか、自分が犯人扱いされても否定すらしないのである。
ミステリ、つまり謎を解く、ということに“淫してみる”くせに、謎を解くことには本質的な意味があるわけではない、という形式になっているのだ。この皮肉さ。
そうした米澤穂信らしさに満ち溢れた作品で、大いに楽しめる作品ではあるものの、それこそ「本格マインド」の持ち主達から見たら生温い、と指摘されてしまうかもしれない弱さも含んではいる。さらには現代のミステリ(本格ではない)として読んだ場合、あまりにも物語性がなさすぎるし、それこそ「人間が描けていない」 <死語。
それでも著者本人のゲーマー性をこれでもかとばかりに感じるルール策定や舞台設定、そしてなにより“ミステリ教養主義”を喜ばせる薀蓄やヒントなど、幅広いミステリマニア(限定)に受け入れられる作品ではなかろうか。少なくとも自分はミステリマニアとしてこの本を読んで大いに楽しませてもらいました。

インシテミル

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