『サクリファイス』近藤史恵 【bk1】

これはもう素晴らしかった。各所での評判がよかったのも頷ける。「捩れた愛」を描かせたら近藤史恵は当代随一だなあ。そしてまたミステリというコードが「捩れた愛」を書くに如何に適しているかというお手本のような作品だった。
サイクルロードレースという日本ではまだまだ馴染みの薄いスポーツを取り上げていながらも、それで読者を離してしまうことがないように非常に巧く書かれており、また同時にサイクルロードレース特有の「エースとアシスト」という関係性を、うまく人間関係と併せて描くことによって、多くの人がエースになれない現実への共感を与えているのも巧い。
しかし、サイクルロードレースには詳しくはないが、長いことツール・ド・フランスを見ている私にとって、というよりも「スポーツという宗教」に深く傾倒している私にとっては、そうした普遍的な部分よりも、より「スポーツという世界」に特化した読み方をしてしまい、そしてその方がよりインパクトは大きかった。
近藤史恵といえば歌舞伎、というイメージもあるが、あちらでも同様で「人を熱狂させるもの」というのは、それ自身が狂っている部分を持っている。だからこそ、人はそれに熱狂する。近藤史恵はそうした部分をあげつらうのではなく、それも含めて「捩れた愛」として描くことに偏執している。つまり、彼女自身がそういう存在なのであろう。
歌舞伎と違い、勝敗があるスポーツという世界を描き、またサイクルロードレースの特殊性を融合ことによって、そうした部分が今までよりも明確になり、傑作と呼べる作品に近づいたと思う。
傑作と断言しない理由についてはいくつかあるが、ひとつは私自身が前述したように「スポーツ信奉者」であるがゆえに、必要以上に本作に思い入れがあること。そしてもう一つは、色んな意味で書き込みが不十分にも感じられる、という点。特に主人公の恋愛的な部分は、正直近藤史恵とは思えないくらい意味が希薄だ。せめてもう少しそれぞれの人物像に厚みがあれば、いわゆる傑作として評価されてもおかしくはない作品になったと思う。
ただし、その書き込みの薄さこそがミステリというジャンルとしての存在感を高めていることもまた事実であり、逆にミステリという方向性から見た場合、泡坂妻夫連城三紀彦天藤真にも通じるような面があるのも事実。「単にミステリというだけでなく、人間の奥底を描いている」というような見方である。それもこの短さで。
そう考えると、本作を「ミステリ」として読むか「小説」として読むかで、かなり評価が変わってくるのではないか、と思ったりもする(評価が真逆になることはないだろうが)。

サクリファイス

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