丹波哲郎死去。昭和が終わった、と改めて思う。『砂の器』や『Gメン'75』といった代表作はもちろんだが、個人的には『事件』での弁護士役、そしてかの傑作『切腹』での名演技が忘れられない。ご冥福をお祈りいたします。
あしたのジョーの方程式』を読んで、マンガ読み込み熱が高まったため、某Yさんから借りっぱなしになっていた(スミマセン)『BSマンガ夜話』のDVD『童夢』の回を『童夢』片手に見た。
ちょうど10年前、記念すべき第一回の放送。十年一昔とはいうけれど、さすがに皆さん若い。いしかわじゅんはあまり変わってないけど。アシスタントの松野美由紀のスカートがやたら短いのが気になる。まだこの頃はキャラクターが定まってないせいもあって、雑談中心の温い感じはあるが、それでも岡田斗司夫の指摘には鋭いものがあったり、改めて『童夢』を読んでみると、コマからはみ出たり、断ち切りがまったくないことに気づいてビックリする。おそるべし大友克洋
大友克洋といえばやはり『AKIRA』で、私は当時中学生だったわけだが、『AKIRA』になるとコマ出しも動線も断ち切りも『童夢』とは違って頻繁に使われるようになる。そういう意味では『童夢』の特殊性はやはり際立っていて、マンガ夜話に選ばれた理由が改めてわかった気がする。
そういや『AKIRA』の単行本は大判で当時1,000円の値段だった。中学生だった自分には簡単には手の届かない値段だったのだが、たまたまうちの親父もマンガ好きで、この頃だと『火の鳥』(朝日ソノラマ版)と『AKIRA』だけは親父が買ってきてくれた。で、アニメの後に同じ版型で『AKIRA』の絵コンテ集が出た。これが確か2,000円以上する代物だったはず。さすがに親父は買ってくれず、かといって自分が買える訳もなく、ひたすら書店で立ち読みした記憶がある。この絵コンテ集というのがまた凄くて、もはや絵コンテなんというものではなくて、普通にマンガとして読めるクオリティだった。その画力に心底ビックリした。そして今思えば頑張ってでも買って手に入れておくべきだったと思う。
時間軸は逆転するが、今にして思えば私が大友克洋に触れた最初のきっかけは映画『幻魔大戦』だった。大友はキャラクターデザインを担当したわけだが、この絵の美しさに感動したことを覚えている。今でも一番好きなアニメは、と聞かれたら『幻魔大戦』と答えてしまう私だが、この時のベガの造型は今でも大好きである。江守徹がまた良かったなあ <また昔話になってる。
ただまあ、私にとっての大友克洋がそういう存在であるだけに近年の『スチームボーイ』やそれこそ最近のカップヌードルなんかでの迷走が気になる。特に実写版なのに監督を引き受けた『蟲師』は不安がいっぱい。
とりあえず『AKIRA』の総天然色版が欲しくなった。全6巻で23,415円。ひえー!。ただこれ、国際版AKIRAの逆輸入版で評判あまり良くないんだよね。右綴じで読みにくい上に、台詞がなぜか英語版の翻訳になってる。普通にオリジナルの吹き出し使えよ。それでも気にはなってしまうんだよなあ、やっぱり。コレクターズアイテムとしてはこの値段はアリなのか。 【bk1】

総天然色AKIRA〈1〉 KCピース

総天然色AKIRA〈1〉 KCピース

気になる本

松岡正剛千夜千冊

松岡正剛千夜千冊

『あしたのジョーの方程式』島本和彦/ササキバラ・ゴウ 【bk1】

炎の料理人ならぬ、炎のマンガ家・島本和彦とマンガ編集者・ササキバラ・ゴウが『あしたのジョー』について余すところなく愛を語り合った対談集。
まず、内容について述べる前に一点。対談集なので、インタビュアーとインタビュイーで書体を変えるのは当然としても、まずはじめにどちらが島本和彦でどちらがササキバラ・ゴウなのかは判別できるようにしておくべきだと思うぞ。メインが島本和彦だから多分こっちだろう、というのは想像できるがハッキリしないまま読み進めるのは心地悪かった。
で、内容だが、最初に書いたように二人(特に島本和彦)の『あしたのジョー』への愛情を出発点に、『あしたのジョー』に隠されたいくつかの秘密や疑問について二人が二人なりの解釈をしていく、というもの。「『あしたのジョー』に関するものはなんでも欲しい」とのたまう島本和彦(ゲームソフト『あしたのジョー』のだけのためにNEOGEOを買ったらしい)が、ある日車の中で『あしたのジョー』のサウンドトラックを聴いていて積年の疑問が晴れたことにより、今回の対談に至ったらしい。
まあ、その疑問というのは大きく分けて二つあり、ひとつは「ジョーにとっての「あした」とはいったいなんなのか?」ということと、「なぜジョーは力石、カーロス、ホセの三人には勝てないままマンガが終わったのか」ということ。一つ目は別として、二つ目の疑問は普通のスポーツマンがであれば「ライバルに勝つ」ということはストーリー上の必然であるのに、ジョーはライバルには勝っていないのはなぜなのか、という至極最もな疑問である。
これらの解釈については本書に譲るとして、単純に考えれば、「勝てなかった」からこそ『あしたのジョー』がマンガ史上に残る傑作となったことは疑いがないだろう。だからといって「ライバルに勝てない」という設定だけで、そこに上り詰めたわけではないこともまた確かだ。
そしてこの「勝てなかった」ことこそが「ジョーにとってのあした」に明確に繋がっている。その辺りを実際のマンガの描写や展開を踏まえて説明していく部分はある意味でミステリの謎解きに近い面白さがある。まあ、強引な部分もあるけど(笑。
ただ、ラストの解釈については個人的に異論、というかそうは考えたくないという心理的に納得できない部分がある。やはりあのラストシーンは、あの最後の試合だけにかかったものではなく『あしたのジョー』という物語にかかっていて欲しいし、今でも自分はそう思っている。反論理由も一応あるが、長くなるのでここでは述べないし、それこそひとりひとりが自分なりの解釈をして欲しいものだ。とまれ、私にとってはあのラストシーンは『あしたのジョー』という物語の全てを象徴し、集約したシーンなのである。でなけりゃ、二年位前にあのシーンのリトグラフが売り出された時にサラ金行くかどうかであんなに真剣に悩まなかったよ。
とにかく『あしたのジョー』に思い入れがある人は読んで面白いのは当たり雨。さらに島本和彦の熱い語り口が『あしたのジョー』にそんなに思い入れのない人にとっても面白く読めると思う。マンガを深く読み解く面白さを実践した本としても貴重なので、大人のマンガ読みは読んでみて欲しい。
ただまあ、ここまで真剣に読み解けるマンガっていうのが今はそんなにないよなあ、とも思う。ちばてつや高森朝雄梶原一騎)という強烈な二つの個性のぶつかりあい、そして互いが互いのアイデアを想像し、拡張していった結果の名作なのだとも思う。一人のマンガ家の単なる迷走とは違う、コラボレーション故の謎と疑問。だからこそ面白い。

あしたのジョーの方程式

あしたのジョーの方程式