Batonはなにによって手渡されるのか?

がくしのコメントに反応しようかと思ってたら、マサトクさんのところ(と派生しているサイト)を読んで色々考えてしまった。
ただ、まず私が「不幸の手紙」という言葉を引き合いに出したのは、マサトクさんも書いているが、このBatonが「好意」もしくは「興味」によって手渡されたものであって、「不幸の手紙」は決してそれではない、という比較のためである。ただし、ここで重要なのは例え「好意」であっても押し売りなものには首肯できないという点。どっかの誰かが勝手に送ってきたメール(もしかしたら数多あるエロメールだって中には好意から送られているものがあるかもしれない)に対していちいち反応はしない。しかしそれが知り合いや友人である場合は別ってこと。フォーマットは借り物であっても、そこで送られてきたものは知り合いや友人からのメッセージである、と私は受け取ったのだ。
あくまでも私の場合だが、Batonをくれたよしさんもプロトさんもオンオフの違いはあるが、既知の人物であり、少なくとも私個人は好意的なお気持ちでお二人との関係性を保っているつもりだ。そしてこれまた少なくとも私にはお二人が私にBatonを送ってきた行為が「嫌がらせしてやれ」というものには思えなかった。「不幸の手紙」論云々とは別に、このMusical Batonには思うことはあるのだが、この場合「好意を持って渡されたものを拒否する」というのは私にとってはあまりしたくない行為なので、ありがたく受けることにした。
そこで「不幸の手紙」に戻るが、5人なのか1人なのか、ということについて考えてみれば、楽志がいうように

これがコミュニケーションイベントとして広まるうえで複数の人間に渡すという仕組みが重要

なのかもしれない。そうした意味においては確かにそれもまたMusical Batonの本質であろう。ただし、がくしはそれを「目的」としての本質と捉えたのかもしれないが、私は「手段」としての本質に過ぎないと感じた。あくまでもMusical Batonの目的は「質問に答える」、そして「それを読む」ことだと。これに関しては、自分で書いていてもがくしの意見の方が的を射ている気もややするのだが、やはり自分という立場に立ち返って見るとき、送ってきたお二人も、また自分自身も「広げる」ことを目的とはしていなかったと思うのである。ルール上(これをすなわち目的と考えるのも確かに正しい)、5人の人間にBatonを送る、という決まりに従ったわけで、これが1人の人間に送る、というルールであった場合、「不幸の手紙」とまでいわれたのであろうか、というのが私の問いかけである。
もちろんこれは「たら・れば」の話であり、5人に送るという事実がある以上、1人だったらどうなのか、という問いかけはあまり意味を為さない。しかし、上記のことを考えてしまった私としては、Musical Batonを「不幸の手紙」と考えて拒否する、というのは今ひとつしっくりこないのであった。
そしてまた「思うところがある」とは書きながらも、それをいつまで経っても書かなかったのはやはり「これを送ってくれた人」のことを考えてしまうからだ。そして同時に、Musical Batonを受けて答えている人たちを見てしまっているからだ。ただ、Musical Batonの場合は、答えた時にも書いたように、この企画自体を否定するものではないし、当然この企画に乗った人を否定する気もない。それでも私の場合は、「思うところ」を書くことに気が引ける部分はあるのだ。
で、なぜ「不幸の手紙」という言葉をわざわざ引き合いに出したのかというと、やっぱ送った側、そしてこの企画に乗った人の側から見れば「不幸の手紙」っつー言葉は例えだとわかっていてもちょっと嫌な気持ちにならないかしら、ってことなんだよね。中には「キモイ」という人もいるみたいだし。それが企画自体に向けられている言葉であって、企画に乗った人、Batonを送ってきた人に対する言葉でないのはわかっていても、嬉しくはないと思うのだ。
こういう風に書くと、単なる不幸の手紙以上に厄介なシロモノにも思われるかもしれない。なにしろ「不幸の手紙」と称する人にとっては友人知人から「不幸の手紙」が送られてきたわけだ。中味は決して「不幸の手紙」でもないし、相手に悪意はない、さあどうする、ってなもんである。で、結局自分の場合で答えるしかないわけだが、私の場合は「別にこれに答えたからといって困るわけじゃないし」というのが結論だった。がくしの場合もおそらくそうであるがゆえに、Batonを引き継いだ上での「思うところ」だったのだろう。一方、拒否した人達はといえばBatonを受け取るという行為が何かしらの気に障って嫌だったのだろう。その上で言いたいことも言おう、ということだと思う。それ自体には問題はない。気にいらないことをわざわざしなくちゃいけないことはないのだから。
アレ?、なんだか書いててわけわからなくなってきた(途中仕事の打合せで中断してしまったせいもあるが)。まー、なんつうの?。しつこいくらいに「あくまでも私の場合」を強調するとすれば、別に「不幸の手紙」的な要素はあんまり感じないし、それがイヤだってことではないんだよな。私が「思うところ」ってのはそれじゃない。でもまあ「不幸の手紙」と称する気持ちも、こうして書きながら分析しているとわからんではない。ただ私は友人知人から手渡されたものを、手渡されたものが気に入らないからって簡単には拒否できないなあ、というか、拒否するならするでやり方を考えるなあ、とかそういうことかな。私自身もそうだけど、「目的」と「手段」がごっちゃになったり、企画自体と企画に乗った行為をごっちゃに考えすぎじゃねえ?、いやむしろ分けすぎじゃねえ?とかそういうことかも。なんかハッキリしない書き方でスミマセンが。