『少女には向かない職業』桜庭一樹(東京創元社 ミステリ・フロンティア)(ISBN:4488017193)

まず前提として、私は桜庭一樹の著作を『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』しか読んだことがない。その前提に立つと、本書『少女には向かない職業』と『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』の相似は、良い悪いに関わらず否応なしに先入観として逃れられないものがあった。
本書でもまた冒頭の一文で結末までの道行きが明かされる。このたった一文で私の胸がぎりぎりと痛む。ページを捲るごと、行を読み進めるごとに「恐ろしいことが起こらないでくれ。彼女たちをこれ以上苦しめないでくれ」と祈るような気持ちで読む。
冒頭だけではない、本書と『砂糖菓子〜』の相似は至るところにある。主人公が家庭環境に恵まれていない中学生の少女。そして、彼女を巻き込むのが(かつて東京から転校してきた)奇妙な少女。都会ではなく、地理的にも精神的にも閉塞状況にある環境。理不尽な大人による暴力。クラスメイトとの男子との淡い気持ちの交流。そして悲劇。
そうした相似形を持ちつつも、同じ話を読んでいるような気がしないのはもちろん作者の手腕もある。しかし、それ以上に少女たちの、傷ついた子供たちの訴えが聞こえてくるような気がするからだ。誰にでも悩みはある。そしてそれは誰一人として同じものではない。少女が叫ぶように「子供だって大変」なのだ。
虐待、というテーマを描いた作品は他にもある。その虐待に対して抵抗する子供たちを描いた作品も。およそミステリと呼ばれる分野の作品にしても天童荒太の『永遠の仔』や貴志祐介の『青の炎』などが代表例だろう。しかし、こうした過去の作品と桜庭作品が違うのは、桜庭作品は物語を書こうとしているのではなく、「彼女たちの声」を書こうとしている点だと思う。
ハッキリといってしまえば、物語としての質は『砂糖菓子〜』にしても『少女には〜』にしても決して高くはない。『砂糖菓子〜』はそのままラノベ然とした登場人物たちや設定が描かれていたし、『少女には〜』でも構成は見事だが、そこで語られるドラマや配役は脆さを感じさせる。それでも、いやだからこそ桜庭作品から聞こえてくる彼女たちの叫びは「本物」に聞こえてくる。舞台装置でもキャラクターでも、物語の一部でもない、彼女たちが作品の全てなのだと思う。
本書と『砂糖菓子〜』を比較すれば、同型の作品という意味でやはり先に読んだ『砂糖菓子〜』に強い印象を受けた。そしてさらにラノベとしての「作られた世界」が目立った分、逆に少女たちの叫びが本物として聞こえた気もする。一般小説としての出来は当然本書が上だが(そのように書かれているのだから)、どちらが好き(というのとは違うが)かと問われれば『砂糖菓子〜』と答えるだろう。
桜庭一樹がミステリを愛していることは疑いようがないが、『砂糖菓子〜』に引き続き、本作でもミステリはあくまでも装飾として、意匠として使われているに過ぎない。それが有機的に活かされているとはいえないのだが、無駄であるわけでもない。こういう使い方は嫌いじゃない。この点では本書のほうが上回る。ただ、言うまでもなく『少女には向かない職業』というタイトルはP・D・ジェイムズの『女には向かない職業』から取られたもので、そこにインスパイアされているのだろうが、その結びつきがあまり感じられなかったことだけが残念だ(私の読み込みが浅いのかもしれないが)。
予断ではあるが、『砂糖菓子〜』を読んだときになぜか新井素子を思い出した。なんでだろう、と考えてみると、自分が中学生だった当時、初めてコバルト文庫を読み、それが新井素子だったからだ。中学生の自分にとって(少女マンガは普通に読んでいたのに)、コバルト文庫というのは「少女たちの聖域」のように感じられ、手に取り、読み始めたときは、普段はすぐそばにいるのに窺い知ることの出来ない少女たちの心の中を覗いた気がしてドキドキしたものだ。
桜庭一樹の作品を読んでいると、あのときに似た感じになる。あの当時よりも遥かに遠い存在である彼女たちの心の中を覗いてしまったような背徳感。それがなんともいえない気分になるのだろう。