『もつれっぱなし』井上夢人 【bk1】

リハビリ代わりにレビューの書きやすい作品から。
いうまでもなく岡嶋二人の中の人だった井上夢人の作品。全編が男女二人の会話文のみで構成された異色の短編集。【宇宙人の証明】【四十四年後の証明】【呪いの証明】【狼男の証明】【幽霊の証明】【嘘の証明】の6編が収録されている。
井上夢人の文章による状況説明能力が秀逸なことはこれまでの作品でわかりきっていることだが、本書の「会話のみ」という設定では、またそれが際立っている。登場する男女二人の関係、今の状況、そして二人の情報、そういった内容が全て会話の中で決して説明的にならずに配置され、自然な会話(と読んでいる側に思わせる)を展開している。もちろん、そうした「状況説明」だけでなく、各話のタイトルにあるような「何がしかの証明」のための会話も為されている訳で、その違和感のなさが見事だ。
自分も一応脚本なんぞを書く身なわけで、この難しさはよくわかる。いや、芝居ならばまだいい。脚本が全てではなく、それを演じる役者もいるし、当然声のトーンや、衣装も舞台も最終的には見えるから。むしろ説明的な部分は省くほうがよい。その意味でも、文字だけの、それも会話だけでここまでの状況説明ができるというのはさすだとしかいいようがない。井上夢人の作品を読むと、必ずある程度鮮明なビジュアルを思い浮かべながら読んでしまうのは、この状況説明能力の高さゆえだったのだと今更のように納得。
ただ、そうした技術には舌を巻きつつも、作品として見た場合、全ての作品が「〜の証明」となっていることからもわかるように、男女のいずれかの一方(一話を除いて他の全ては女性が原因)が相手に対し突飛なことを言い出して、それを互いが「正しい」「間違っている」という証明をする、というパターンになっており、さすがに後半は飽きがくる(ただしそこはそれ井上夢人らしいひっかけも用意されているが)。それと、全て男女の会話、というのもパターンが同じになってしまう要因。この辺も趣向がもっとあっても面白かったと思う。
というか、それよりなにより、証明の内容どうこう以前に、突飛なことをいいだすだけならまだしも、相手の言葉尻を捕らえて、さらには自分の言い分をまったく曲げようとしない女性達がウザイったらない。ハッキリいえばDQN。そういう作品だといってしまえばそれまでだが、なんでこんな奴等の話をまともに聞いて、相手にしなきゃならんのかまったくわからん。多くは恋人関係だったり、非常に近しい関係にあるので、そうそう簡単に会話を放り投げるわけにはいかない、という面もあるかも知れないが、私だったら「付き合いきれん」の一言で人間関係も解消で終わりだと思う。まあ、それ言ったら本当に話にならんのですが。
そんなわけで、展開される話の内容にまったく共感できず、それどころか鬱陶しいという感覚以外持てなかった。まあ【四十四年後の証明】だけはそういう鬱陶しさはないし、むしろいい話なのだが、これはこれであまりにもベタすぎて、発想としては評価できないかなあ。
とりあえず井上夢人のテクニックは大いに駆使されていて、それは満喫できるけど、作品としてはイマイチ。こんな会話が横でされていたら、おそらく私は切れてしまうでしょう。あ、いかにも落語的な作品だな、と思いついたので最後に記しておきます。

もつれっぱなし (講談社文庫)

もつれっぱなし (講談社文庫)