『シリウス・ファイル』ジョン・クリード 【bk1】

CWAに新しく創設された「イアン・フレミング・スティール・ダガー賞」の記念すべき第一回の受賞作で、帯に

『血の絆』『脱出航路』『女王陛下のユリシーズ号』の興奮再び!

とか書かれてたらそりゃあ期待するでしょ。海洋冒険小説のベスト3と比べてるんだし。だがしかし残念ながら足元にも及ばず、というのが率直な感想。
そもそも本書を手に取ったのはジョン・クリードの新作『シャドウ・ゲーム』 【bk1】ISBN:4102147128)を店頭で見て気になり、シリーズものだということを知り、一作目から読んでみようと思ったのだ。手に取ってみたら上記の帯だし。期待大ですよ、でしたよ。
諜報員のジャックは、上司のサマヴィルからアイルランド国境で、ある人物の死体から荷物を取ってくるよう命じられる。彼が任務に就こうとした夜、古くからの友人でIRAの伝説的人物であるリーアムが彼の元を訪れる。リーアムはIRAと敵対するアイルランド警視庁の警部との繋がりを疑われ、仲間から追われていた。彼の追っ手を撒いて、なんとかアイルランドに潜入したジャックだったが、発見した死体は40年も前のもので、どう見てもアメリカ人だった。残されたファイルを手に取りその場を去ろうとするジャックだったが、何者かに襲われる。再びリーアムと合流したジャックは、船で決死の逃走を計る。
前半はほとんどジャックとリーアム、そしてリーアムの妹であるディアドラとの思い出話をフラッシュバック形式で語っていて、それがどうにも退屈。文体はあまりにも旧式なハードボイルド文体で、喋っている相手の言葉でさえ一人称で語ったり、言い回しがいちいちそれっぽくて、それが締まっていない分気になってしまう。
後半に入って漸く海洋冒険小説らしくなるのだが、肝心の海の描写、戦闘描写がなんというか「超スゲエ」とか「カワイイ」しか語彙を持たない人達と同じように「今までに見たこともない」とか「かつてない」とかそんな言葉ばかりで今ひとつ感覚的に伝わってこない。
作者のジョン・クリードは純文学作家、オウエン・マクナミーの別名義だということなんですが、それが悪いほうに出ちゃった感じ。なんだろう、純文学作家が習作としてハード・ボイルド文体で書いてみた、みたいな。
ところどころで「ギャップ」を活かそうとしている気配が感じられるのだが、(攻勢だ、という表現の直後に大ピンチ、とか)決して活かしきれているとは思えず、反対に「さっきまで××と書いとったやん!」と感じてしまうんだよなあ。
主人公は有能な諜報員、リーアムはIRAの伝説的な闘士として描かれているんだが、やってることがそんなに有能でも伝説的でもなく、特に「プロ意識」と「感情」の部分を主人公は「巧く制御している」と思っているんだが、とてもそうは思えないところにも入り込めない要因がある。ぶっちゃけていえば文章が下手。
最初に「敵は8人」と書いておきながら、戦闘中に確実に敵を一人倒しておいて、「残る敵は8人、いや9人」とかいわれてもなあ。作者が杜撰か、主人公の索敵技術が未熟かのどちらかになってしまうよ。
むしろ脇役的な扱いを受けている、リーガンとウィッチトラスト警部の方が遥かに人間的な魅力がある。リーガンなんかは私の想像するアイルランドの闘う男そのものだ。
人物描写だけでなく、政治的な背後関係も含め、敵対する関係の力やバランスの状態がよくわからないのも問題。ジャックやリーアムの危機的状況が把握できないので、海上の戦闘のように目の前で起こっていることでしかハラハラドキドキできないのだ。こういった諜報戦では、主人公が政治的にも抹殺されようとしていて、相手があまりにも強大、とかでないとスリルがない。利用する、といえば聞こえはいいが、あっさりと力を持つものの手を借りてしまうのもどうかと思った。
全然面白くなかった、というわけではなく、前半はともかく後半(残り3分の一)は興が乗って読めた。ただ、帯の煽り、そして冒険小説、IRAときて「ジャック」、「リーアム」という名前が出てきたらどうしたってジャック・ヒギンズの名作『鷲は舞い降りた』を思い出す*1。そうした過去の冒険小説の名作を思い浮かべながら読んでしまうと、厳しいけど凡作に感じてしまう。というか色んな意味でヒギンズ・トリビュートな作品ではある。
ただ、シリーズ第二作目となる『シャドウ・ゲーム』は本作よりはまだ評判がいいようなので読んでみようかな、とは思う。

シリウス・ファイル (新潮文庫)

シリウス・ファイル (新潮文庫)

*1:リーアム・デヴリンという最高にカッコイイIRA闘士が出てくる