蹴球微熱 ドイツワールドカップ紀行 2日目

朝7時半起床。疲れていたが思ったよりもスッキリ起きれた。朝食はバイキング形式だが、やたらと種類が多い。どうやらこのホテルは結構いいホテルらしい。その証拠に二宮清純が泊まっていた。ハムだけで8種類くらいあった。朝からがっつり食う。
この日の予定は3時くらいまでフリーで、その後、ホテルに集合してスタジアムに移動。なので我々のグループはデュッセルドルフまで出て、観光しようということに。
タクシー2台でデュッセルドルフに向かう。朝9時頃だったのでアウトバーンがやや混雑。車内で「渋滞ってドイツ語でなんて言うの?」とか話してて、「many car」と運転手さんに言ったら「シュターオ」という言葉が返ってきた。ドイツ語で渋滞はシュターオ。ちなみにこの言葉を覚えたが二度と使うことはなかった。道中、Tが感嘆符の代わりに「Shall we dance!」(なぜなのかは理解不能)とか叫んでたら運転手さんが苦笑いしていた。さぞかし馬鹿な日本人に見えたことだろう。ちなみにタクシーも普通に160キロとかで走ってます。そしてベンツ。
駅に到着。デュッセルドルフ駅構内にどデカイワールドカップ(優勝カップですね。今ではジュール・リメ杯とは呼ばなくなった)の置物が。皆、この前で記念写真を撮っている。当然私たちも撮りました。構内にワールドカップオフィシャルグッズキヨスクらしきものがあったのであれやこれやと見ていたら「まだ10時前だから準備中だよ」と言われてしまう。仕方がないので後回し。
街に出て散策。怪しげな土産物店でどう見ても紛い物のワールドカップグッズ買ったり、『旅の指差し会話帳』片手に四苦八苦しながらコミュニケーション。デュッセルドルフは州都なのだが、街全体は小振り。私とTとSくんはとりあえず街を見ようと歩いていたが、女性二人と年長者三人はいきなりデパートに入っていった。
我々はライン川目指して歩いていたが、途中の緑地と支流で学生らしき一団と遭遇。なにやら川に釣竿らしきものを垂らしている。何か釣っているのかと思ったら川底から何かを掬い上げてるようだ。ここで気後れというものを知らないSくんが「何してるの?」と英語だがドイツ語だかわからん言葉で聞くと、なんか答えてくれたけどよくわからない。どうやら水質調査のようだ。すぐ横が学校みたい。その学校がまた歴史を感じさせる建物で素晴らしい。ドイツは10年制なのか、かなり小さい子どもから、高校生くらいまで(でも実際は中学生くらいだろう)がいた。
そのまま表通りではなく路地を歩いていちいち「きれいだなー」とか呟く。路地は全て石畳で、建物も古いまま残っている。途中見つけたカフェでお茶をする。ちなみにドイツ語で「紅茶」は「シュバアツテー」というのだが、ドイツで頼んで出てきた紅茶は全てティーパックだった。紅茶を飲む習慣はあまりないのか。でも、これが意外に美味いのが不思議。水のせいかしら。
さらに街をぶらつき、博物館らしき建物の前に来る。どうやらデュッセルドルフ出身の偉人が描かれたらしきオブジェの前に立っていたら、通りの向こうから学生らしき一団に声をかけられた。それに対し「ニッポン!ニッポン!」コールで返事するSくん。おそらくコミュニケーション不全。
しかし、その一団が我々のほうに寄ってきた。先生らしき人物と、一人の学生が中心になって話しかけてくる。どうやらその学生(クリスチアーノと後で判明)が「日本オタク」らしい。彼が「こんにちは」とか「どういたしまして」とか話しかけてくるので、相手にしていると他の生徒も周りを固めてくる。先生が英語で色々話しかけてくれるのだが、我々の拙い語学力では全てを理解できず、さらに単語レベルでしか返事が出来ない。それでもなんとかコミュニケーションを成立させ、彼らが15、6歳の集団であること(これには驚いた、皆大学生くらいに見えた。ちなみに私が34だといったら笑われた)、現在課外授業中でこれからハイネ(ドイツの詩人です)の生家に行くこと、などがわかった。まあ、これだけ聞き出すまでに色々と脱線して「ドラゴンボール!」「セーラームーン!」とか叫ばれたり(向こうでも日本といえばアニメだ)、一緒に写真撮ったり、本物のワールドカップチケット見せてくれとせがまれたりしていたが。
先生の話を興味深そうに聞いていたら、「一緒に来ないか?」とい誘われた。こんな機会は二度とないし、ドイツ人女子学生が可愛かったのでついていくことにする。ハイネの家は歩いて五分ほどの場所。ちなみに向かいがシューマンの家だった。この二人について朧げな知識だけ持ち合わせていたが、その辺の話したら先生がこっそりと、「日本人の君でさえ知っているのに、最近のドイツの若い者はまったく知らんのだよ。彼らの頭の中には日本といえばアニメと高原。それ以外はアメリカ文化のことで頭がいっぱいだ」と愚痴られる。日本も似たようなもんだよな、と思う。先生はハイネの家の横(この辺りいったいは旧市街で古い建物が沢山ある)にアメリカのペットショップがあることも嘆いていた。
そんなこんなでハイネの家へ。中では学生たちによる展示品なども飾ってあり、クリスチアーノの作品もあった。ハイネの「冬物語」の章をイメージした作品などが飾られていて、多少なりとも前知識があってよかったと思った。ローレライの詩や、ハンブルグがかつての赤線地帯だったことなどを教わった(ちなみに赤線地帯はそのままレッドラインだった)。
さすがに15、6歳だなあと思ったのは男子学生がすぐに飽きてしまい、好き勝手し始めたところ。外見は大人びていてもやはり子どもだ。我々との接し方もちょっと遠巻きにして冷やかす感じ。それでもガムをくれたりして無視はできない、という仕草が微笑ましい。女子は先生に付いて話を聞いているし、都度先生が我々のために英語で話してくれるのだが、それらを助けてくれる。ドイツ人はかなり英語が堪能だ。
ハイネの家の前で記念写真を撮って、広場まで移動し、後ろ髪を引かれつつも彼らとはお別れ。結局2時間近く彼らと一緒に過ごしていた。ワールドカップ期間中ということもあり、外国人に優しく接しようとか、日本オタクのクリスチアーノがいたとか(彼は日本のヴィジュアル系バンドの雑誌とか持ってた)、ドイツ人は日本人に優しいとか色々と理由はあるとは思うんだが、それにしてもこんな貴重な経験は滅多に得られないだろう。
実質ドイツ一日目にして、このような体験をしてしまい、まだ試合も見ていないのに興奮しきり。というかこの経験のおかげで異文化コミュニケーションの楽しさを思い切り知ってしまった。この旅ではこうした異文化コミュニケーションを最大限楽しみたいと決意。まあ、そうはいっても基本小心者の自分なのだが、Sくんという先鋒がいるので心強い。
3人で興奮したまま駅前まで戻り、遅い昼食を摂って(ドイツのダイエットコークは不味かった)再び駅へ。まだ時間があったので、構内の店を見て回ると、本屋というか雑誌売りがメインの店を発見。中を覗いていたらなんと日本のコミックコーナーが!。『名探偵コナン』が!『ONE PIECE』が!『HUNTER×2』が!『軍鶏』まで!というか『ふたりエッチ』まであるよ!その他にも『NANA』とか少女マンガもありました。ビックリだ。当然何冊か買う。大体一冊5ユーロちょっと。800円くらいですね。何冊買ったかはナイショだ。あと雑誌だけど、『マリクレール』とか『コスモポリタン』は各国ごとにあるんですね。表紙とかのスタイルは日本と一緒だった。ドイツではパソコンのマニュアルは雑誌型が主流らしく(おそらくムックという形態がないのだろう)、雑誌売り場に『Microsoft Excelの使い方(おそらく)』とかが売ってました。
集合場所のどデカイワールドカップ前に行くと、その前で集合写真を撮ってる外国人集団の中になぜかHさんとMUさんがいる。あまりにも自然な交流。アルゼンチンサポーターに囲まれるSくん。しかも彼らの捨て台詞は「ハカン・シュキル!」それトルコの選手だから。とにかくあちらこちらで色んな交流が行われている。すれ違ったドイツ人からは「今日の日本の相手はどこだ?」と聞かれ、「ブラジルだよ」と答えたら「何時から?」と聞かれたので「9時から」と答えたら「まあ、頑張れよ」と言われたり。ワールドカップという共通言語のおかげで簡単に交流が出来る。それがなにより楽しい。ありがとうワールドカップ
全員集合して再びタクシーでホテルに戻る。集合時間までに着替えを済まさねばならないのだが、ここで悩みが。私は日本代表ユニフォームを持っていない(着ようと思ったことがないし)。まあ一応サムライブルー風のシャツは持ってきたのだが、逆にブラジル背番号10ユニフォームは持っているので持ってきていた。果たしてどちらを着るべきか。本来ならば当然ブルーなわけだが(日本人の一団で行くのだし、回りは全員日本のユニフォームだ)、ここは思い切ってブラジルユニフォームで行くことにした。理由は二つ。ひとつは、純粋にどちらのサッカーが好きかといわれたら、そりゃやっぱりブラジルだからというのと、バルセロナファンとしては背番号10、つまりロナウジーニョを応援したいから。二つ目は、ブラジルユニフォームを着ていた方が交流しやすそうだったから。たぶん、ブラジル人も「あの日本人ブラジルのユニフォーム着てるで」と思うことだろう。
そう考えてブラジルユニフォーム着たのはいいが、バスに乗り込むときに周りの日本人に白い目で見られる(当たり前)。Tはなぜかガンバ大阪ユニを着ている。まあ青だけどさ。スタジアムまでの道中、アウトバーンで他の日本人サポーターのバスと併走したりしたのだが、その時も気まずい空気が。青い一団の中に一人だけ黄色い人間。ちょっとだけ辛かった。
そしてバスはドルトムントに到着。スタジアムの駐車場から歩いてスタジアムに向かう。もう、この時点から大騒ぎ。ブラジルはサンバのリズムで騒いでるし、日本人は「ニッポン、チャチャチャ」の連呼である。ドイツ人もいれば、オーストラリア人もいるし、ポーランドの可愛い少女は多くの日本人と写真を撮ってアイドルになっていた。第一のゲート前に「めざましテレビ」の取材クルーがいて、奥寺アナウンサー(アナウンサーですよ、奥寺康彦ではありません)がいたのだが、Hさんが気安く「奥寺さーん」と声をかけたりしてる。知り合いかよ!(違います)。それがきっかけでいきなり「めざましテレビ」の取材にあう。ニッポンコールの中、奥寺アナに「なぜあなたはブラジルユニフォームを着ているの?」とツッコまれる。とりあえず「バルサに魂を売ったから」と答えておいたが、もしこれが放送されたら非国民として非難を浴びそうで怖い。結局、映ったのかどうかは知りません。
まー、とにかくこの騒ぎが延々続いて、もみくちゃになりながらもブラジルサポーターやボランティアの人たちと「トゥギャザー!」を合言葉に写真を撮りまくる。ボランティアの眼鏡の女性は可愛かった。「ドイツの旅で恋に落ちた回数」まず一回目。
ひとしきり騒いだ後、スタジアムに入場。ドルトムントは一応ドイツ最大のスタジアム。言うまでもなくボルシアドルトムント(BVB)の本拠地。憧れのスタジアムのひとつだったので、中に入り通路の隙間から見えるスタジアムにもう興奮。そして自分の席の通用口を抜けてスタジアムの全容を目にしたときの感激はもう忘れられない。規模的にはさいたまスタジアムを一回り大きくしたような感じ。客席の角度なんかも似ている。8万人近く入るスタジアムだけどで、座席的にもやや上だったがかなり見やすい。我々の一角はやはり日本人が多かったが、ちょいと横を見ればブラジル人がいるし、前方にはテンガロンハットかぶったメキシコ人がいるし、「ワールドカップのスタジアムに来たなあ」という感慨で胸がいっぱい。
とりあえず食い物と飲み物を調達しにいこうと売店へ。ドイツは飲み物を買う場合、正規の価格に「容器代」がプラスされる。スタジアム内だとコーラが3ユーロ(約450円)で、容器代がプラス1ユーロ。容器を後で戻せば1ユーロが返ってくる仕組み。食べ物もハンバーガーとかはなく、ドイツらしくソーセージがメイン。というか単にソーセージをパンに挟んだだけのものなんだけど、ソーセージがやたらデカイ。20センチくらいある。持つのが大変だからパンに挟みました、みたいな感じ。
それと、これはスタジアムだけの話ではないんだけど、ドイツではタバコはすい放題に近い。皆さんどこでも吸うし、道端でもどこでもポイ捨て。じゃあ、街中が汚いかというとそうでもなく、清掃員の数が多いので結構キレイ。この辺の話はまた後ほどするけど、何が言いたいかっつーと、皆さんスタジアムのどこでもタバコ吸いまくってるということ。客席で吸ってる人(それも試合中に)までいたくらいだ。逆にこれだけ野放しだとこちらは気後れしちゃって(小心者なので)吸う気になれず、結局喫煙は我慢しました。
そして試合開始1時間前になり、練習が開始。日本、ブラジル両チームのGKが入ってきた。日本は当然川口が正GK。楢崎がサブの練習。土肥ちゃんは能活に向かってボール出したりシュートしたりしていた。ブラジルは当然ジダ。貫禄ありまくり。そして他の選手が入場。そしてこの時点でサプライズ。スタメン面子の中に巻と玉田(と稲本)が!。実際メンバー発表があるまでは、「これはフェイク?」と思ったほどだ。思い切った決断、ということもいえるが、これをやるんだったらオーストラリア戦の後にやらなくては遅い。そしてブラジルのスタメン練習にはなんとロベカルアドリアーノロナウジーニョもいない(実際はロナウジーニョは出たわけだが)。この時点では「相当手を抜く気だな」という印象でした。スタメン半分くらい違ったかな。これはフェイクというわけではなく、ギリギリまで悩んだのか。練習は微調整レベルでもいいんじゃない、と結局はナメられたということなのかもしれません。真実はわかりませんが。
なので、この後のスタメン紹介でロナウジーニョが出ることを知ったときは嬉しかった。折角白い目で見られつつブラジル10番ユニフォーム着てきたんだし。ただまあ、アドリアーノいない、ゼ・ロベルトいない、ロベカルいないと、ブラジルがメンバー落としているのは明らかでしたね。で、試合は開始するわけですが、これについては別項。
スタジアムからバスに戻るまでの間、日本人とブラジル人の間の明暗はくっきり。日本人はほぼ全員無口。ブラジル人はサンバで踊る。Tはブラジル人の50代くらいの夫婦に「ロナウド凄いだろ?」と自慢されたらしい。「凄いです」と認めてくるしかなかったらしいけど。スタジアム出た付近に呂比須がいて、日本人に囲まれていた。本人が実際どっちを応援していたのかはわかりませんでした。
バスに戻っても全員無言。怖いくらいの静けさの中、バスは動き出す。アウトバーンを走る音しか聞こえない。誰も口を開かない。中には寝てしまっている人も(この時点で夜の12時近く)。ホテルについても皆何も言わず部屋へ。晩飯も食ってないんだけど、誰もバーに行こうという人はいない。仕方がないので部屋でカロリーメイト(日本から持参)を食いながらテレビでオーストラリアとクロアチアの試合をチェックして風呂入って寝ました。幸いなんだかどうなんだか私が見てる時間に日本とブラジル戦の内容は流れなかった。流れていたら悔しくて眠れなかったかも。とにかく日本人完全沈黙の夜でした。
こうして日本のワールドカップ2006は終わりを告げたのです。