『一瞬の風になれ』佐藤多佳子 1 【bk1】 2 【bk1】 3 【bk1】

幸せだった。オレはもうどうしようもなく幸せだった。
これほど読書に没頭したのは、本の世界に夢中になったのはいつ以来だろう。いやむしろ、ここで描かれた春高陸上部の一員となって一緒に彼らと過ごした時間があまりにもかけがえのない時間だった。
主人公に共感する、とかそういうことよりも自分は間違いなく春高陸上部にいた、という感覚。もちろん名前も出てこないし、自分の台詞もないけど、確かにここにいて彼らと一緒に汗を流して声を張り上げて応援して、一緒に笑って一緒に泣いた。
たった二日間、時間にしたら6、7時間だとしても、自分は間違いなく春高陸上部で過ごしたかのような感覚。それだけに読み終わって、彼らと別れを告げなくてはならないその時の寂しさ。もっと、もっと彼らと一緒にいたかった。
自分はきっと県大会にも進めないような成績のランナー、それともジャンパーだったかもしれない。きっとみっちゃんには「お前はまあ成績のことよりも楽しく陸上すればいいさ。だけど、どうせやるなら上目指してみるにも悪くないんじゃないか」みたいこと言われてただろうなあ、とか。守屋先輩には色々と慰められてたんだろうなあ、とか。根岸や溝井と一緒になってバカやってたんだろうなあ、とか。桃内にはプロテインの講釈聞かされてたんだろうなあ、とか。もしかしたら谷口に惚れてたかもなあ、とか、そして新二や連には自分の分まで期待かけて、彼らの走りを見れることを喜んでいたんだろうなあ、なんていう想像が止まらない。もうオレ、ネギのこと大好き。ネギ最高。
とにかく一段落ごと(一章じゃない段落ごとだ)にいちいち涙ぐんでしまうほどに彼らの青春(クサイ言葉だとわかっていても使ってしまえ)は眩しくて、愛おしい。春高陸上部の皆だけでなく全ての登場人物が愛すべき人たちだった。
感情的なことばかり書いてもなんだから、ちょっとだけ普通なことも書く。
一段落ごとに泣けてくる、というのはそれだけ佐藤多佳子の文章が細かい区切りでも「結」を持っているからだ。一章とか、一巻とか、三冊とかそういう単位じゃなく、ひとつの段落ですらまとまりを持っている。そのまとまりがドンドンと層を成して、物語が膨らんでいく。それがとても心地よい。
かなり久々の新作だったけど、きっとそれまでの間、陸上について、サッカーについて、高校生について、物凄く丁寧に取材したんだと思う。この小説は間違ってもノスタルジーじゃない。今、この時を生きている高校生達の、それも陸上競技に高校生活をささげた彼らについての物語だ。リアルだとか、そういうことだけじゃなく、ある意味ではキチンとマーケティングもされた作品だ。なにが魅力的で、なにを書けば読者が喜ぶのかもしっかり考えて書かれた小説だ。だが決してその術中にはまることが嫌ではない。むしろ、「もっと!」と思ってしまう。
そう、「もっと!」なのだ。まだまだ続きが書けるじゃないか。ある意味ではクライマックスともいえるべき部分を残して物語は終わっている。新二と連はどちらが勝つのか、恋愛はどうなるのか、健ちゃんはどうなるのか。そうした部分を残して、第二のスタートラインに立ったところで物語が終わっている。その先を彼らと共に過ごせないことが寂しいし、切ない。
だからこそ愛おしい。

一瞬の風になれ 第一部 -イチニツイテ-

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一瞬の風になれ 第二部 -ヨウイ-

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一瞬の風になれ 第三部 -ドン-

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