インターネットとの付き合い方

既に4ヶ月近く更新が止まっていることもお分かりのように、最近では日記を書く、というか日記を書いてWebにアップする、という気力が湧いてこない。

そもそもは忙しさのあまり、更新する時間が取れなくなったことが原因だったわけだが、それが続き、日記を更新するという習慣が体から抜けてしまうと、改めて「日記を更新する」という行動に対するモチベーションとかが必要になってしまった。そして今はそのモチベーションが激しく低下している状態なわけだ。

何度も日記を書きかけたし、下書きのテキストもある。もしくは書かずとも頭の中では日記を更新するつもりでネタを考えたりする。そういう部分の習慣はまだ残っている(特に脳内で文章を考える癖はなかなか抜けそうにない)。

そこまではするのに、ではなぜそのテキストをアップしないのか。その壁はなんなのか。
それを考え始めたら遂には、そもそもなぜ自分はWebに文章を晒すのか、そういう根源的なことまで考え始めてしまい、なおさら簡単に更新ボタンを押せなくなった。

結論から言ってしまえば、自分がWebに文章を晒すのは、そこでのコミュニケーションを求めているからなのだ。以前にも書いたし、何度か言及しているような気もするので今更ではあるが。

しかし、かつてとは違い今のWebでの在り方というのはコミュニケーションではなく、基本的に情報の交換である。もしくは情報の交換を暗黙の了解として、情報を提示することである。
提示された情報に対してコメントやトラックバックという形での交流はあるが、なんというかそれは電話ではなく無線のようなものだ。つまり、通話者が同時に喋ることはできない。「こちら××です、どうぞ」「了解こちらは○○です、どうぞ」という状態での交流になってしまう。これが二人の場合はほぼ問題なく会話できるが、複数の人間では間違いなく混乱する。要するに多対多の交流ではなく、一対多の交流でしかない。

残念ながらかつてのように個々のサイトがひとつのコミュニティを形成することはもはやありえない。そこにあるのは管理人(死語)いや、ブログ主と読者という関係性以外は存在しえない。

これも以前に書いたが、コメントやトラックバック、という機能は「ある話題」に対してのみ発信されるものである。つまり、(書いた)人間がメインなのではなく(書かれた)記事がメインなのである。極端なことをいえばコメントを書いたり、トラックバックを送る側から見れば、誰が書こうと関係ないのである。そこにあるのは書かれた記事に対して意見を表明したい、という意思である。それはコミュニケーションどころか、ある意味では「交流」というものですらない。

もちろん全員が全員そうした形での「交流」(に似た形)をとっているわけではなく、書き手に対してコミュニケーションをとるつもりでコメントを書いたり、トラックバックを送っている人もいるだろう。しかし悲しいかなそれは現代の「ブログ」という形式においてはある種の邪道な使い方になってしまう。

では、インターネットでのコミュニケーションは死んだのか、というとそうでもない。
現代のインターネットにおいてのコミュニケーションはSNSに場所を移した。まあ、ぶっちゃけmixiである。mixiにはそのものズバリ「コミュニティ」という名の場が存在し、ここには未だにかつての掲示板、BBS文化が残っている。

通常の日記のコメントにおいても、マイミクシイという書き手との繋がりありきのせいか、ブログのコメントとは違い「交流」と呼ぶにふさわしい、ある意味では何の得ももたらさないやり取りが行われている。

じゃあ、ブログやめてmixiに走ればいいじゃん、ということになるのだが、結果的にはmixiでもほとんど更新はしていない。
その理由はなんなのか。正直よくわからない。おそらく一番大きいのは生理的にmixiをそこまで好きになれない、というのが原因ではないかと思う。無理やり言葉にすれば、SNSならではの閉鎖性はコミュニケーションを制限するし、申し訳ないが自分の求めるコミュニケーションというのは、単なる馴れ合いでもないのだ。

生産性のある話がしたい、なんてことはいわない。むしろ無駄話の範疇が自分の求めるものではあるのだが、なんというかmixiのかもし出す雰囲気は、微妙に、感覚的なもので申し訳ないが、微妙に違うのである。

さて、話はスタート地点まで戻ってしまう。
要するに、自分が日記(ブログ)で本のレビューを書いたり、こうしたダラダラと長い無駄話を書いたり、サッカーの感想を書いたり、そうことをすることにどんな意味があるのか、すんげえ今更ながらに考え込んでしまったということなのだ。
コメントが欲しい、とかトラックバックが欲しい、とかいうことではない。アクセス数が何百何千と欲しい、とかそういうことでもない。いや、コメントもトラックバックもアクセス数ももらえるに越したことはないけどさ。

でも、自分がネットにハマったのは、なんといっても「午前零時で針を止めろ!」の掲示板での大勢の人たちとの交流があったからだし、自分のサイトを始めてから掲示板への書き込みに全レスしていたのも、バーチャルな空間で味わえるコミュニケーションの楽しさゆえだったのは間違いない。
そして、こうした場で知り合った人たちと「オフ会」という場でリアルに対面し、新たな人間関係が作られていく喜び。気がつけばそうやって自分の交友関係はどんどん増えていき、今ではそうして知り合った人の多くがリアルでの友人となり、ネット上での交流よりもリアルでの交流の方が多くなった。
それはそれで嬉しい。ただ、こうした流れが今ではすっかりなくなってしまったのが寂しい。人間関係の広まりの勢いは減少し、ネット上での新たな人たちとの交流なんていつが最後か思い出せないほどだ。

そういう状態の中で日記(ブログ)を更新することに意味を見出せなくなった、なんていうと大袈裟な話で、そもそもが「自分のための覚書」として始めた日記なんだから誰一人読んどりゃせんでもええのんちゃうんかい、といわれてしまえばそれまでである。ただ、自分のための覚書、だけのために更新するパワーが最近はない、ってことですな。

自分としてはこういう自分自身の状態こそが、ネットでの新たな、いや昔からも含むコミュニケーションの不全を生み出していると思うし(自分が行動しない限り交流は生まれない)、それを脱するために、なんか方法はないもんかと考えてはいる。

マンネリもひとつの原因かもしれんと思い、はてなのサブアカ立ててみたり、FC2に登録してみたり、はてなハイクTwitterの真似事でもしてみようかと思ったり、Facebookとか登録してみようかと調べてみたり。しかし、結局どれもこれも前へは進まないのであった。結局新たなことをするにもパワーがいるし、これまでのネットとの付き合い方を変えない限り、うまくいかないような気がしている。

これまでのネットとの付き合い方を変える、というのは、掲示板懐古主義をやめるとかだけでなく、mixiでの自分の制限を解除するとか、思い切ってFacebookで実名登録しちゃうとか、はてなハイクでもTwitterでもTimelogでもいいから大勢の知らない人たちをFollowするとかそういうことだ。

で、じゃあなにをどうする、ってところで今は悩んでいるわけですけどね。悩む前になんでもいいからやり始めてみろと。自分に言い聞かせて久々に更新したわりにホントどうでもいい長文を終わりとする。こんなもん書いてるからコメントもトラックバックも付かねえんだよ、というツッコミはコミュニケーションとしてありがたく受け入れる方向で。

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*1:あまりに久しぶりの更新ではてな記法すら忘れていたのはナイショだ。