CDはなんのために存在するのか

 音楽ダウンロードの違法、刑罰化の話題やDRMの話、そしてDVDリッピングの話とかを読んだり聞いたりしていたら、ふと「現在のCDってなんのために存在しているの?」と疑問に思った。


 今現在、CDで音楽を聴いている人って、実際どれくらいいるんだろう?我が家のCDプレイヤーはもう、10年くらい起動すらしていない(万が一のために取って置いてはいる)。買ったCDもレンタルしたCDも、まずはPCのDVDドライブに突っ込んで、データファイルにする。
 そこからは、今はGalaxy S2に、かつてはiPhoneiPad nanoに、もしくはWalkmanに移して聴くことがほとんどだ。「CDを回して音楽を聴く」という行為はほとんどしない。これって今では私だけに限った話じゃなく、多くの人がそうなんじゃないだろうか。つまり、音源をデータ化さえしてしまえば、CDはもはや必要がない。


 そういう状況においてまで、なぜ音楽業界は「CDが売れない」、と言うのか。そりゃ必要のないものが売れないのは当然だろうと。誰もCDなんかで音楽なんか聴かないんだから。


 なにを今更当たり前のことを、と思われるかもしれないが、「CDが売れない」という話をするときに、話題になるのは大概「音楽がつまらなくなったから」という立場からの言質で、あらためて「CDの必要のなさ」ということが取り沙汰されることはあまりない。AKB48のCDが選挙の後、大量廃棄される、という件が問題になるが、別にAKBに限った話じゃなく、そもそもが一度リッピングしたらCDには用はないのだ。
 たった一度、PCに突っ込んで音源をデータ化するだけのために、CDという存在があるのだとすれば、それはあまりにも資源の無駄遣いではないだろうか。当たり前だがCDの原材料費、ジャケットの原材料費、輸送費、倉庫代、様々なコストがかかる。その結果としてたった一度の使用で用済みと化す。どんだけエコからかけ離れてるんだと。


 結局、CDが存在する理由っていうのは、そうしたコストをビジネスにしている既存産業のため、と言ってしまっていいと思う。プレス産業、印刷産業、流通産業、倉庫産業、そうした業界が生き残るためだけにある。
 明らかに全部配信型にした方が合理的だ。エコだ。ゴミも生まれない。CO2排出量問題にも貢献だ。


 しかし、現実はそうはならない。


 このことが意味することは大きくて、合理性やコスト、エコイズムよりも既得権益の方が強い、ということを意味している(既得権益、というと悪いことでしかないように聞こえるかもしれないが、「現在の職を守る」という意味では必ずしも悪い意味ばかりではない)。


 極端な例を出せば、たとえ技術が進んでどこでもドアや空飛ぶ車ができても、それらは簡単には流通しないだろう。
 なぜならどこでもドアや空飛ぶ車は「道路を必要としない、新たな道路を造らない」からだ。未だに日本の政治は道路道路、あきれるくらいに道路を造る。道路族議員が幅をきかせ、ゼネコンが力を持ち、新たな公共事業が出てこない限り、どんなにどこでもドアや空飛ぶ車が便利でも、道路に取って変わるには恐ろしく時間がかかるだろう。当然、JRやその他の私鉄の反対もあるだろうし。実際問題、彼らの職が失われたら、日本の失業率はヤバイことになるだろう。


 そうした観点から見れば、moraなどの配信サービスが、ダウンロード期限や回数を区切ったり、PCを換えたら聴けなくなる、などのDRMを施しているのもあり得ない話なのだ。だって、CD買ってたら、期限や回数なんて限られないわけだし、DRMも(今は)ないんだから。CD買って音源をデータ化したらそういう邪魔は入らない、だからCDを買え、という仕組みになっているわけだ。ユーザからしたらCDを買わない方が遙かに合理的だからそうしているだけなのに。


 多くの人の職と収入を守るために維持されている、それが「CD」という存在なのである。