shaka2005-08-24

今度は旭屋書店渋谷店が閉店ですか。ここにはお世話になっていたし、色んな思い出があるので寂しい。思い出っつっても待ち合わせの思い出しかないけど。それでも私が渋谷で待ち合わせといえば、必ずといっていいほどこの場所だった。
そもそもこの場所に出入りするようになったのは、ネットを始めたのがきっかけだった。渋谷界隈でオフ会があると、いつもここが待ち合わせ場所だったのだ。それまでは渋谷なんてろくに来ないので旭屋書店の存在すらしらなかったほどだ。それをきっかけに自分が待ち合わせする際はいつもここを指定していた。時には2時間近くこの場所にいた時もあった。確かこの5、6年で二度ほど店内改装したはず。それでも客で溢れかえる、という状況ではなかったのは確かだ。
先日の大盛堂書店に引き続き、渋谷の老舗がまた一つ消え去ることになる。これからは待ち合わせ場所をどこにしようか。ただそれだけのことなのにやはり寂しい気分だ。

読了本

  • 『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』桜庭一樹ISBN:4829162767
    読み終わって、それなりのショックを受けております。なんか今更私が書くようなこともない気がする。刊行時期にあれだけ話題になったのもわかるわ。これは弾丸というより爆弾だなあ。全然違う、と言われるかもしれませんが始めて新井素子を読んだときのこととか思い出した。でもまあレビューも書こう。

『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』桜庭一樹(ISBN:4829162767)

冒頭、いきなりラストが明かされる。つまり読者はそこへ辿り着く道程を歩むことを強制される。それがたとえ、どんなに辛い道程であろうとも。
これを単純に小説として評価していいのか、評価というのが大袈裟でもそういう視点で切り取るだけで果たしてお前は満足なのかと自問自答する。答えは否。小説、というある芸術活動の表現媒体という指向性からこの作品について語っても、そこにはわかったような言葉や小説的に云々、といった不毛な言葉たちが流れ去るだけだ。
では、どんな言葉で語ればいいのか。それすら思いつかない。言葉なんかいらない、だから読め、とも言えないし、言わない。ここにあるのは、この作品と向き合う機会を持ったものだけが感じる、それが幸運なのか不幸なのかはわからないが、その感情だけだ。その人だけの感情。おそらく。
ラノベ、ミステリ、自分のことを「ぼくは人魚」と称するエキセントリックな美少女、少女を虐待する父親、貴族の様なひきこもりの兄、実弾、砂糖菓子、バラバラ殺人、セカイ系、オトナ、コドモ。そんな言葉達をいくら並べたところで何も語ったことにはならない。
終着点を知った上で、二人の13歳の少女の道行きを見守ることしか許されない、無力な神の視点で自分が何を感じるのか。ただ、それだけだ。共感、嫉妬、嫌悪、同情、不安、不満、感動、無情、愛情。そこに生まれる感情がどんなものであれ、多分それは凄いボリュームで襲ってくるだろう。少なくとも自分にとってはそういう作品でした。
いつものように小説としてとか、ミステリとしてとか、それっぽく語ることも出来るし、語りたいことも結構ある。それでも色々書いてみて「こんなこと書いてなんの意味がある?」と思ってしまうのでした。その辺について聞きたいことがある人は直で聞いてくれ。これすらも無駄な文章だ。

気になるマンガ