shaka2005-12-13

京ぽん2」ことWX310Kの購入をどうするかどうか迷っていたが、ここにきて「洋ぽん」ことWX310SAでもいいか、という気がしてきた。っていうかこっちの方が高いけど。洋ぽんに心を動かされた大きな理由はカメラ性能とICレコーダー機能。京ぽん洋ぽんのカメラは同じ130万画素なのだが、かなり写り具合が違うらしい。明らかに洋ぽんの方が上。ICレコーダー機能は通常使うものじゃないけど、あったら便利だと思った。特に某集まり関連では。
私の場合はPHSでWebをそんなにするつもりはないのでブラウザがOperaNetFrontかはあまり気にならない。なんせ今までPHSでWebブラウズすらしたことがないから、比較さえしなければ「こんなもんか」と思うだけだろう。ただ、メール関連の使い勝手が悪そうなのはマイナスだけど。
まあ、私の場合はあまりにも時代遅れの筐体を使っているので、大概のことはよくなっているはず。特に文字変換については今のがあまりにバカなので、そこさえよくなっていればかなり満足なはず。大きな期待はしない。まあ、今使ってるのは古いからこそ機能が単純でフリーズとか再起動はありえなかったから、そこは新しくすることに不安なんだけど(レビューとか読むと意外にフリーズとか多そうなので)。デザイン的には京ぽんの方が好きなんだけどなあ。
さあ、どっちにしよう。それ以上にクリスマス商戦過ぎたら値段下がらんかなあ。激しく期待。
いまさらながら『このミス』がランキングに入るほど売れているという事実を知る。毎年そうだった?。それだけ(広義の)ミステリーが世間の耳目を集めているってことだよなあ。

トヨタカップ2005 シドニーFC VS ディポルティボ・サプリサ

いみじみくもハーフタイムで解説の奥寺や武田が呟いた「サプリサはこんなもんなのか?」という言葉がまさしく象徴的で、その後に続く「いや、こんなもんではないはずだ」という台詞を言い終えないうちに、怒涛の攻めで後半3分で早くもシュート3本。その3本目が遂にゴールをこじ開けた。
事前にサプリサの情報を仕入れていた人なら誰もが前半のサプリサのパフォーマンスには首を捻っただろう。シドニーが弱いとは言わないが、それにしても好き勝手にやられすぎ。数少ないシュートシーンはさすがというところを見せたが、全体に巧くボールが回らず、中南米らしさはほとんどなかった。
それが後半に入った途端、見違えるようなチームになってたよ。一転して攻めの姿勢になってシドニーがそのペースに合わせられないうちにあっという間の得点。4バックから3バックに変更したということもあるとは思うが、精神的に前がかりになった時の強さはさすが。
そして一点獲った後のしたたかさはまさしく中南米のサッカー。ボールを回して回して相手を苛つかせ、出てきたところにカウンター。終盤、シドニーが賭けに出て人数をかけてきた時はやや危ない場面もあったが、「いかにも」といった戦いぶりを漸く見せてくれた。前半のまま終わってたらとんだ張子の虎だったよ。
シドニーは前半に点を獲れなかったことが全て。カズの出来というよりはヨーク以外に前でポイント作れる選手がいなかったことが残念。サイドを封じられた後半は攻め手に欠いた。仕方がないとはいえヨークをボランチに起用するってのも厳しいよなあ。ヨークが前に出て、後ろでボール出せる選手がいたら面白かったと思うんだけど。それこそブレシアーノとか。
途中の談話で驚いたのが、シドニーの選手が日本でスパイクを購入した(それも栄で)、ということ。シドニーは新興チームなのでまだスポンサーがついてないんだそうだ。それにしたってオーストラリアじゃいいスパイクも買えないのか。
これで準決勝はサプリサとリヴァプール。戦力的にはリヴァプールだと思うし、圧力は桁違いだと思う。ただ、そこを中南米っぽくいなすことが出来ればサプリサにも勝機はあるだろうし、なんといってもリヴァプールは来日したばかりでコンディションは悪いだろう。どんな結果になるのか楽しみだ。まあ本当は順当にサンパウロリヴァプールの決勝が見たいけどね。

購入本

『マジェスティック』(2001 アメリカ)(ASIN:B00006BIOP)

監督:フランク・ダラボン、出演:ジム・キャリーマーティン・ランドーローリー・ホールデン
ショーシャンクの空に』、『グリーンマイル』とスティーブン・キング原作を映画化し、高い評価を得たフランク・ダラボン。今回は1950年代のハリウッドで吹き荒れた「赤狩り」というテーマを描いている。
一流の脚本家を夢見る若手脚本家のピーター(ジム・キャリー)は、ようやく日の目を見ようとした矢先に非米活動委員会から共産主義者と告発される。原因は大学時代に所属していたサークルが実はコミュニストが多く所属するものだったから。身に憶えのない彼だったが、噂は既にハリウッド中に流れ新作映画もボツになり、恋人の女優からも見捨てられてしまう。
自棄になった彼は酔ったまま車を走らせ事故を起こしてしまう。目が覚めるとそこは砂浜。一人の老人に助けられ、治療をしてもらうが頭を打ったショックで記憶を失くしてしまう。そんな彼を町の人々はハリーの息子ルークだと勘違いしてしまい、ピーターはハリーの息子として町で暮らすことになる。
フランク・ダラボンは『ショーシャンク〜』でも『グリーンマイル』でも、「無実の男」が謂れのない謗りを受けるドラマを描いてきた。今回もまた脚本家ピーターはコミュニストではないにも拘らず、告発される。彼は記憶を失い、戦争のため寂れてしまった町で、町の英雄ルークとして生きることとなるが、ここでの描き方が秀逸。戦争の傷跡を引き摺ったままの町で、潰れてしまった映画館を復興させることで町に活気を与え、ピーターは再びルークとして英雄となる。この部分が活き活きと描かれているからこそ、最後にピーターが選んだ選択が理解できるし、当時アメリカという国がいかに混迷していたかが伝わってくる。日本人の我々にとってアメリカは戦勝国だし、本土は戦地となっていないために今ひとつアメリカの傷跡というものが見え難いが、この映画はアメリカもまた戦争で傷つき疲弊したことを教えてくれる。
町で英雄になったピーターだが、結局はルークではないことがバレて、再びコミュニストとして審問会に引きずり出される。ここでのシーンは本来ならばもっと盛り上がってしかるべきところだ。テーマが違い、主役がデンゼル・ワシントントム・ハンクスだったら彼らが読み上げるアメリカの憲法条文は素晴らしく胸に響いただろう。しかし、ダラボンはあえてそのような描き方をせず、ジム・キャリーはたどたどしく、そして周りのざわめきを圧することなく条文を読み上げる。ここでのピーターは英雄ではない。ひとりの知からなき存在、謂れのなき差別を受ける男がこの条文を読み上げる。なぜなら、一見クライマックスにも見え、アメリカ特有の「正義は勝つ」という常套句に陥りそうな映画の結末を、ダラボンは安易に選ばなかったからだ。ピーターの行為は一部の人間の心を打つが、ただそれだけの結果に終わる。ジム・キャリーを起用した理由というのはその辺にあるのかもしれない。
そうはいいつつもジム・キャリーではなく、他の役者だったらアカデミー賞も狙えたんじゃないかと思ってしまうのもまた事実。まあ、そうしたらかなりの美談なってしまい、私自身は好きではない映画になってしまった気もするが。
ジム・キャリー以外では、ルークの父親・ハリーを演じたマーティン・ランドーが素晴らしい。この映画は脇の俳優、それも老人がとてもいい味を出していて見ごたえがある。その中でもマーティン・ランドーの演技は素晴らしい。
タイトルの「マジェスティック」とは、ピーターとハリーが復興する映画館の名前でもあり、訳せば「威風堂々」ということになる。ダラボンはこの映画でアメリカに対し「威風堂々たれ」とメッセージを送っている。皮肉なことにそのことが、今のアメリカが病んでいることを如実に表しているような気がしてならない。

バーチャル・エア・ギター

http://airguitar.tml.hut.fi/
なんか最近話題のエア・ギターですが、なんとそのエア・ギターの動きを特製のグローブが感知して音楽を奏でることができるグッズらしい。Fromフィンランド。どんな曲になるのか聞いてみたい。